考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

能のワキ方

2006年07月01日 | 能楽
 能の多くは、次のような物語である。旅の僧(ワキ)が由緒ある地で曰くありげな人物(前シテ)に出会う。不審に思ってどこの誰かを尋ねると、その人物は、実は私は何とかの某の亡霊であると名乗ってことの次第を述べ、僧の元を去る。夜が更けてから、僧は某のために読経をする。と、某は在りし日の姿で現れ(後シテ)、僧に感謝をし、舞を舞って成仏する。
 この形式を「夢幻能」と呼び、いわゆる「能面」を付けた能の多くがこれである。

 「家庭画報」に、能楽のワキ方の跡継ぎとも言える少年が載っていた。人間国宝の宝生閑(ほうしょうかん)氏の孫である。閑さんの息子欣哉さんのお子さんだろうか。(にしては、欣哉さんのことは何も触れていなかった。外孫なのかな? と言って、娘さんがいるのかどうかも知らない。)

 能の「ワキ」は、非常に重要な役柄である。上記の通り、主役と言えるのは「シテ」で、能の場合、「家」あるいは、流儀によって、シテかワキかはあらかじめ決まっている。つまり、「今日はシテ、しかし、次の演目(「曲」と言うが)ではワキを演じる」ということは決してない。宝生閑さんは、常に「ワキ」しか演じない。それで、「シテ方」「ワキ方」という呼び方になる。

 閑さんは素晴らしいワキ方である。今は多少お年を召されたようだが、舞台の空気を変えることができるワキ方である。

 私は、シテ方の先生から、仕舞をちょっと習った。今は謡をちょっとやっているが(と公言できるほどではないが、実は。)、本当のところ習いたかったのはワキ謡である。謡は、ワキもシテも同じ台本(謡本)を同じように使うので、稽古することは同じと言えば同じである。しかし、ワキにはワキの本分がある。

 ワキの面白い能は、面白い。なぜなら、「ワキ」は、舞台の進行役だからだ。一見したところ、ワキの仕事は、ただ、座っているだけである。シテに話しかけて、あとはただひたすら座っている。だから、今回のお孫さんの稽古についても、座ることを重視している様子だ。しかし、ワキならではの大事な仕事がある。前シテに出会って、前シテの話を促すのはワキである。ワキの問いかけがなければシテは物語を語らない。ワキは、謡い方一つで、シテが語るべき物語の行方を暗示しなければならない。それが、その能を優れた能にするかただの能にするのかを分けることになる。成功すれば、物語は進むべき方向に確実に進む。

 能は、大道具を使わないも同然の舞台芸術である。幕も暗転もない。全てがさらけ出されている。なのに、舞台は場面を変える。日が差し、月が出て雲に隠れ、雪が降り、桜が咲く、などの様相を示す。ただひたすら、見る人の脳裏に映し出す力である。
 これはもちろん、当然のごとくシテ方に要求される力であるが、名ワキ方は、舞台の時空の転換時に優れた能力を発揮しなければならない(と私は思う)のだ。閑さんは、それが十分に可能な方である。だから、閑さんの舞台は、物語の進行がスムーズである。ただ漫然と流れるのではなく、空気が変わって舞台が転換し、見る者を次に誘う。大道具が存在しない舞台だからこそ重視されるべき力量である。

 ワキはじっと座っていながらも、このように能動的な役割を果たす。役柄の多くは名もなき僧で、地味な存在である。大抵の観客が楽しむのはシテ方の謡であり、シテ方の優美な舞である。幽玄という言葉で表現されるのもシテ方についてであろう。しかし、私は、ワキの重要性とその面白さを讃えたい。ワキは能の物語の案内人なのである。閑さんのお孫さんが、跡継ぎとしてお祖父ちゃんのように立派に活躍できるようになるのは、50年、60年も先のことである。それまで十分な修練を積んで欲しいと思う。しかし、私はその頃もういない。

2 コメント

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この記事は、 (Damien)
2006-07-02 17:42:30


 ポストされた時から、気になっていたんです。

 「夢幻能」というのですか、教養が無いものですから、教えて頂いてとてもありがたく思いました。



 「聴き取られなかった言葉」と「聴き取られた言葉」との、更には「ワキ」の役割・作用について学ばせて頂き、私なりに少し考えてみたいと思いました。



 良いテクストを本当にありがとうございました。心からお礼を申し上げます。

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「夢幻能」は新しい言葉です (ほり(管理人))
2006-07-02 19:34:37
Damienさん、コメントをありがとうございます。



朝日選書「夢幻能」田代慶一郎著は、(もうよく覚えてないんだけれど・笑)読んだとき、とっても面白かったです。文章もリズムが良いし、いろいろ勉強になりました。



この本に、「夢幻能」という言葉の由来があります。初めて使われたのは大正15年11月28日、大正と昭和の狭間、「国文学ラヂオ講座」の佐成謙太郎(当時女子学習院教授・「謡曲大観」(なんと、当時から口語訳付きの謡曲集。)の著者だと思う。)で、佐成は芳賀矢一(よく知らない)が複式能と言ったものを命名したようです。なお、「夢幻能」に対立するのは「現在能」で、幽霊が出てこないお話です。



上記ワキの役割は、私が観能の際に感じるようになったことです。普通は、気にしないのがふつーだと思います。私、観能に関しては、一時、それなりには極めるところまでは見た確信があるの。それで、まあ、ね。(笑)

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