考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

私の努力

2011年09月26日 | 教育
 授業は、なるべくつまらない、退屈なものにしている。無意識的に、そんな努力をする。
 生徒が嫌がるような、理屈っぽい、徹底的な論理的な読み方ばかり教え込んでいる。もちろん、全部、日本語。だって、そんなややこしい論理、英語で説明できない。
 訳読と、試験には絶対に出ないことをだらだら話す。
 パワーポイントがあると便利だなと思うことがあるが、準備がめんどーだから使わない。昔のOHPで懲りている。提示する時間は短縮できるが、生徒が頭にたたき込むには時間が足りないだろう、というものだ。黒板に書く時間くらいでちょうど良い。
 近頃、「面白い授業」なんてくそ食らえと思っている。
 授業は面白くなくても、英語が面白い、英語そのものに興味を持ってもらえればそれで良いだけだ。だから、なるべく英語についての話はしようと思っている。でも、ほりは、そもそも「知識」がないから、シェークスピアがどうのこうの、などの高尚な話は出来ない。テキストの文章の言葉での英語という言語特有の語と語の繋がりや関係をひたすら話す。マニュアルには何も書いてないから、ほとんど自分の思いつき。合っていることもあるだろうけれど、間違ったことも話していると思う。授業とは、「ライブ」だから、そんなものじゃないかと勝手に思っている。
 それに、最も大事なのが、生徒が、自分自身が勉強をしない限り、何の勉強も身に付かないと言うことを知ってもらうことだと思う。はっきり言って、英語はどうだって良い。私が英語を教えるのは、手段に過ぎない。教えているのは勉強の仕方だと思っている。

4 コメント

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興味の中心などに気が付いたこと (わど)
2011-09-27 13:39:17
いつもピントが外れたコメントばかりで申し訳ありませんが、今日もそんなコメントになるのでしょう。

まず前々回の「○○ッ○栄えて」のコメント欄に、わたやん先生が久々に顔を出されて気が付きました。ほり先生には、少なくとも何百人かの同志的な「ギョーカイ」関係者がいらっしゃると。一人を百人と計算しますので。実際にはもっといらっしゃるのでしょうが、嬉しく思っております。

さらに気が付いたのは、非「ギョーカイ人」には難しい、こうしたほり先生のブログを、なぜ自分の好みにするかという理由です。最初は自分の高校時代を意味づけたいのかと想像していましたが、違うんです。すごく簡単な理由でした。(未来の)子育てが怖かったから(笑)。学校の先生にお任せ、だけでは済みそうにもなく。

そこで今回の
「生徒が、自分自身が勉強をしない限り、何の勉強も身に付かない」
「教えているのは勉強の仕方だ」
には、当たり前のように参考になりました。教え込むを誤解して、ヒステリーになるのではなく。成長してほしい子どもたちとは、パソコンやロボットじゃないからですね。ただ、子どもが怪物(異物)に見えるときもあるのです(笑)。
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同士 (ほり(管理人))
2011-09-27 23:16:53
わどさん、コメントをありがとうございます。

同士は全国多けれど、同志は少ない印象なんだよねぇ。(笑)

子どもは怪物で異物ですよ。自然物だから。
だから、子どもを脳化するために、教育があるのだよね、と養老先生はおっしゃる。

またお気楽にどうぞ。
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ややこしいことを英語で説明されたらもっとわからない (わたやん)
2011-09-28 18:21:40
社内公用語を英語にするという楽天では,会議で「重要な内容ですので,日本語を使うことをお赦しください」というのが流行ってる…という噂がありますね。真偽はわかりませんが,ほんとだと言われたら納得はしてしまいそうです。

やっぱり生徒には「勉強する」という行為そのものをわかってほしいです。学校では具体例がないとつまらないから英語や数学をネタに勉強の練習をしてて,そのコンテンツで点数を取って入試に受かったりもできるのだけど,それだけだったらそこまで止まり。その間に勉強の仕方を身につけてくれたら後は勝手に本人が何でもやれる。
コンテンツを見ることを楽しく演出することもできるのだろうけど,勉強そのものが地味な部分が多い作業だということは変わりない。そんな演出はテレビ番組(池上彰氏とか)にまかせとけばいい。
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おお、同志 (ほり(管理人))
2011-09-29 00:45:41
わたやんさん、コメントをありがとうございます。

まさにおっしゃるとおりですよ。
でも、現状は、具体物の提示でおわっています。
具体物は、「わかりやすい」んですよね。だから、教える方も、教わる方も、「やった気」になる。これが、麻薬。
勉強が地味なのは、脳みその中身の変革だからでしょう。目に見えないプロセスが大事なのに、顕在化しないから、無視されがちになるのですよね。

と言って、通じる人には通じるけれど、通じない人には通じない。

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