考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

はじめに

 このブログは、ほり(管理人)が、自分の思考を深めるために設置したブログです。私のものの見方を興味深く思う方は、どうぞお楽しみください。 / 書かれていることは、ほりが思考訓練として書き連ねた仮説が多く、実証的なものでありませんが、読み方によって、けっこう面白いと思います。 / 内容については、事実であっても、時空を変えて表現している場合が多々ありますので、リアルの世界を字面通りに解釈しないでください。何年か前の事実をまるで今起こっているかのように書いたものもあります。 / また、記事をUPしてから何度も推敲することがあります。記事の中には、コメントを戴いて書き換えを避けたものもありますが、どんどん書き換えたものも交ざっています。それで、コメント内容との整合性がないものがあります。 / なお、管理人は、高校生以下の方がこのブログを訪れることを好みません。ご自分自身のリアルの世界を大事にしていただきたいと思っているからです。本でも、学校でも、手触りのあるご自分の学校の先生や友人の方が、はるかに得るものがありますよ。嗅覚や触覚などを含めた身体全体で感じ取る感覚を育ててくれるのはリアルの世界です。リアルの世界で、しっかりと身体全体で感じ取れる感覚や感性を育ててください。

ちょっと補足

2009年10月09日 | 教育
 この頃のこのブログ記事に勉強の話題が多い。で、ひょっとしたら、ほりは勉強だけの奴だ、と思うかも知れない、というか、リアルワールドで、「けっ、勉強なんてやったって、たいしたことないさ。あのね、人間には、勉強よりももっと大事なことがあるんだよ」と思っている人に限って、「ほりは勉強さえしていればいいと考えている」と思うようである。
 ところが、それが、違うんだよね♪
 じゃあ、何だって言うのかって?
 そんなの、決まってるじゃん。
 「人間とは何か?」だよ。人は誰でも、ふと思ったときには、自分とは何か、人間とは何か、など、生物として生きていく上では全く不必要な、余分なことを考えるものなんだよ。脳味噌には、そう言う癖があるんだよ。

 それを忘れちゃいけない。
 長く生きた人は、若い人に、人間とはそう言うやっかいな存在であることを上手に知らせてやらないといけない、つまりは、上手に思考する方法を身につけさせてやらないと、若い人が自分ひとりで「やっかい」を背負い込むことになる。さぞ荷が重いだろうと思う。
 どうせ「やっかい」は背負い込まなければならないものなのだから、その自覚を与えてやることが、年長者としての責任をひとまず果たすことになると思う。
 思考するとは、脳味噌に道筋、あるいは、道筋の基礎をつけてやることだ。勉強は、そのために格好の道具であり目的なのである。人が勉強で学ぶことは、大抵、過去の人間がこの問いにどのように取り組んできたかという経験なのである。「入試」は、そのごくわずかの上澄みに過ぎないのである。