考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

はじめに

 このブログは、ほり(管理人)が、自分の思考を深めるために設置したブログです。私のものの見方を興味深く思う方は、どうぞお楽しみください。 / 書かれていることは、ほりが思考訓練として書き連ねた仮説が多く、実証的なものでありませんが、読み方によって、けっこう面白いと思います。 / 内容については、事実であっても、時空を変えて表現している場合が多々ありますので、リアルの世界を字面通りに解釈しないでください。何年か前の事実をまるで今起こっているかのように書いたものもあります。 / また、記事をUPしてから何度も推敲することがあります。記事の中には、コメントを戴いて書き換えを避けたものもありますが、どんどん書き換えたものも交ざっています。それで、コメント内容との整合性がないものがあります。 / なお、管理人は、高校生以下の方がこのブログを訪れることを好みません。ご自分自身のリアルの世界を大事にしていただきたいと思っているからです。本でも、学校でも、手触りのあるご自分の学校の先生や友人の方が、はるかに得るものがありますよ。嗅覚や触覚などを含めた身体全体で感じ取る感覚を育ててくれるのはリアルの世界です。リアルの世界で、しっかりと身体全体で感じ取れる感覚や感性を育ててください。

機能と装飾

2009年10月06日 | 教育
「えっ、黒だったら良いんじゃないんですか?」
「リボンは駄目よ。装飾は必要がないでしょ。髪を止めるならゴムでいいでしょ。ゴムは機能だけどリボンは装飾よ。」

 「色」は目に見えるが、「機能」とか「装飾」という概念は抽象的だから目に見えない。
 今年は試験の結果が悪いのも、理解できるなぁ。勉強は、抽象化の過程である。教えられなくても機能と装飾の概念に気がつかないようでは、勉強だってできるわけがない。
 勉強が出来るとは、様々な差異から、自分で抽象概念を獲得できるということだ。

国家と掃除と宗教

2009年10月06日 | 教育
 養老先生は偉い。

 「掃除は、気分が良くなるからするんだよ」という説得と、「みんなが使う場所の掃除は、不潔になったらちゃんと暮らしていけなくなるから、イヤでもしなければならない」という説得は、どちらがより良いか?

 「税金はたくさん払うと気分が良くなりますよ」という説得と、「税金は共同体の維持のために必要だから、イヤでも払わなければならない」という説得は、どちらがより良いか?

 掃除の場合は、前者の方が「一般受け」がいいだろう。
 同じ理屈だが、税金になると、後者に軍配が上がる。
 税金の方は、宗教団体への寄付、新興であろうと古くからの宗教団体への「布施」の類については、前者が当てはまることかもしれない。

 そう考えると、養老先生は、国家は信仰だ、と言っていたけど、うん、関係があるなぁ。

 しかるに、「したい人が掃除をする」という考え方は、宗教団体への寄付と同じだ。社会的な共同体ではない。「税金は払いたい人だけが払えばよい」と同じだ。

 う~む。しかし、昔は、「ウチはこれだけ税金を払っているんだ。えっへん。」という価値観もあった気がするなぁ。どうなのだろ?