天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

たましひの俳句はわからない

2021-10-29 05:45:57 | 俳句



「鷹」11月号でもっとも注目したのが次の句。なにせすごい数の句があってもちろん全部読まない。主宰が取り上げる「推薦30句」(特選)は読む。その中の1句である。主宰が毎月1万句ほど見た中のベスト30の1句である。29句は共感できたがこれには面食らった。

こほろぎやたましひは夜息を吸ふ 山田友樹
まず「たましひは…息を吸ふ」に立ち止まる。「たましひ」の持ち主は誰か、何か。「や」で切れているが「こほろぎ」の可能性もなきにしもあらず。けれど、やはり切れは大きく、別の魂を思う。作者自身ということもあるがだとすると大げさ。死者と取るのが素直だが絵に描いたように類型的。というようなことで共感できなかった。
主宰はこの句にコメントを書いていない。ほかの特選句のいくつかに評を書いていちばん難解な句に何も言っていない。この句について書くべきではなかったか。
少なくとも作者と主宰の二人が玉のように慈しんでおり、恋愛関係にも似る。まあ俳句はそれでいいのである。

魂の句ですぐ思うのがこの句。
白日は我が霊なりし落葉かな 渡辺水巴
傷と思うのが「なりし」という過去形であるが(現在形のほうがいい)、太陽が自分の魂である、という見方は納得する。夏のぎらぎらした太陽だと強すぎてそういう親近感はわかないが冬のそれに自分の心の根と引き合うものはたしかにある。落葉で木々の間の空間に日が射すという設定もいい。

飛込の途中たましひ遅れけり 中原道夫
最近の「たましひ」でおもしろいのがこの句。機知でありニンマリする。水に入るまでの何秒か意識が白いという感覚である。
次の句の魂も理解の及ぶ範囲にある。

魂抜けしごとき破れや蜘蛛の網  鷹羽狩行
亡き魂を呼ぶ薪能雨を呼ぶ 稲畑汀子

蛍狩して魂を置いてきぬ 関戸靖子
山清水魂冷ゆるまで掬びけり
臼田亜浪


菓木などあり腹ばいて魂綴るなり 石井雅子
この句は前の4句と違い、わかりにくい。「菓木」は「果樹」のことか。木の名前を名状したほうがいいと思うが、妙に惹かれるのが「腹ばいて魂綴るなり」。これは果実を啜っている感慨か。気持ちが悪いというかエロティックというのか、悪くない。

いすれにせよ小生は魂を俳句に持ち込めない。この言葉を信用していないのである。


撮影地:武蔵台文化センター裏

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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (しお爺)
2021-10-29 11:18:18
こほろぎやたましひは夜息を吸ふ 山田友樹
 この句は、(疲れ果てたたましひを)「夜」と限定したところが句全体を、ああそうですか、にしてしまった気がします。まさか、ひとだまのことを詠んだのではないと思います。

菓木などあり腹ばいて魂綴るなり 石井雅子
 菓木は「木の実」と読み替えるようです。ブログのタイトル写真のように。であれば、木の実降り敷く木の下で腹ばいになり、一人静かに(傷ついた)魂のほころびを閉じ直すとするか・・・、といったところでしょうか。
たましいは・・・ (翔)
2021-10-29 11:57:55
実のところ、この句は分かりませんでした。わたるさんの挙げる多彩な「魂」の例句をみて、蒙を蒙きたいと思います。
たましいは・・・ (翔)
2021-10-29 11:57:55
実のところ、この句は分かりませんでした。わたるさんの挙げる多彩な「魂」の例句をみて、蒙を蒙きたいと思います。
Unknown (Tuki)
2021-10-29 19:47:23
こほろぎやたましひは夜息を吸ふ 山田友樹

伝達内容が視覚的ではなく聴覚的であって、とても静かな句ですね。
「息を吐く」ではなく、「息を吸ふ」とあることで、この夜のしじまのまだ続く感じがするのもいい感じかなと。
「こほろぎ」は、英語だとよく静寂の喩えで使われるような気がしますが、それも下地にあるのかも。
短詩でよくあるレトリック、置換的に「たましひやこほろぎは夜息を吸ふ」が着想のどこかにあったかも。
Unknown (ヨミビトシラズ)
2021-10-30 02:51:23
人間は寝ている間、「脳の覚醒」と「体の覚醒」を繰り返すという。つまり、脳が起きている間は体が眠り、体が起きている間は脳が眠っている。
この句もそれと同じような発想で、「昼起きている間は(物質的な・可視の)普通の体が起きて活動・呼吸し、夜寝ている間は(超自然的な・不可視の)もう1つの体が起きて活動・呼吸している(ように主観は感じている)」という事ではなかろうか。

なお、書き手が季語に「こほろぎ」を使ったのは、コオロギの鳴き声が持つ雰囲気(静寂が引き立つ)もそうだが、鳴き方も関係しているかも。
コオロギは一定間隔で強く短く鳴く。この時の間隔は、人の鼓動や呼吸に通じる物がある。鈴虫のように細く長く鳴き続ける鳴き声だと、それは感じにくい気がする。

余談だが、「ハッキリと目に見える物や景」を扱う事の多い俳句において、「たましい」ほど曖昧な題材はないような気がする。目で見る事はできない(=明確な映像を持たない)し、この語に対する実感や感じる物の方向性(死者の霊魂/生者の肉体から切り離された意識/生命体に宿る(場合によってはそれを操っている)不可視の何か/人の奥底に眠る思いや潜在意識、etc)も、人によって多種多様であろう。
「明確な映像を持たない季語(主に時候の季語)」というのはあるが、それですらハッキリ体感できる物(温かいとか寒いとかの物理的な体感はもちろん、それらの感覚が俳人に感じさせる特有の情感)はある。しかし、「たましい」にはそれすら無い。
故に、この語を俳句に組み込んで説得力を持たせるのは、至難の業だろうと思う。

……長文、失礼しました。
Unknown (ヨミビトシラズ)
2021-10-30 03:35:01
具体的な読みに関して、追記。

私の第一感の読みは、先程の「昼起きている間は(物質的な・可視の)普通の~活動・呼吸している(ように主観は感じている)」という物。
敢えてもう少し読みを具体化させるなら、「眠っている時に、(部屋の外で実際に鳴いている)コオロギの声を聞いた。半覚醒状態とでもいうのであろうか、夢かうつつかよく分からない状態・感覚だ。でもその時の感覚は、まるで私の魂がコオロギの鳴き声に合わせて呼吸しているかのような、不思議な感覚だった」というような感じの読み。

第二感の読みは、「夜=主観は寝ている」という条件を外して考えた物。つまり、「昼間しこたま働いて、限界を迎えた肉体を引きずるようにして、抜け殻のように(=魂だけのように)なって夜の家に帰ってくると、コオロギの鳴き声が迎えてくれる。昼間とはうって変わった雰囲気の中、大きく息を吸ってリフレッシュする」とか、「昼間さんざん叩きのめされ、息をする事も許されなかった魂(=主観の心や信念)を、コオロギの鳴く静かな夜に取り戻す」とかの読み。
こちらの読みの方が、超自然的な読みが無いぶん多少は分かりやすいかも。

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