天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

宇宙人は進化していない

2016-05-03 06:51:52 | 映画
きのうテレビをつけたら「コクーン2」をやっていた。
宇宙人と地球の老人たちの交流もので、何人かの老人たちが桃源郷を求めてかれらと地球を出立するという内容。

「コクーン2」の衰弱した宇宙人


コクーンは繭でありその中で宇宙人が命を保っているという発想である。
むかし劇場で「コクーン」を見て荒唐無稽だなあと思った。アメリカ人はなんと能天気民族かとも。アメリカ人は単純で心の機微などはわからないのではないか。「心の琴線に触れる」「惻隠の情」などはどうやって伝えたらいいのやら。

ハイウッドのつくるSF宇宙ものはかなり見たが宇宙人は一向に進化していない。
だいたい地球人に姿形をなぞらえて皮膚を白っぽくしたり無機質感を出しているにすぎない。目玉を突出させ手足を細くアンバランスにするていど。
人間がモデルでないければ爬虫類を変形させたり昆虫を巨大化して変形させたりである。
それが人間ふうに言葉を話し地球人と意思疎通ができるというのも多い。


「宇宙戦争」より

先日、京極夏彦の「十万年より」を読んでいて次の箇所で目の前がスパークした。

「例えば、限りなく俺達人類に近い宇宙人がいたとしよう。でも、大きさが千倍だったらどうだ。逆に千分の一だったらどうだ。俺達は俺達のスケールでものを測るが、そんなものはこの地球の上でしか通用しないぞ。千分の一の相手と会話できると思うか? 時間だってそうだ。一日一時間一分一秒、それは全部俺達の身体と、この地球が割り出した単位だ。千年が一秒程度のスケールの相手だったら、俺達は眼の前に出た途端に死んでるよ。俺達の一秒の間に百年が過ぎる種族と出遭ったら、眼の前で相手は塵になっちまうぜ」
絶対に出遭えない、と先輩は言った。


映画はなにか像を見せないと成立しないという前提がある。したがってカメラに入る宇宙人をつくる必要がある。
いたしかたないのだが京極さんが描く宇宙人の概念こそ真実味がある。

われわれは命という概念も地球レベルでしか想像できない。
したがって科学者たちが酸素があって窒素があってと生命維持の必要要素を挙げるのだが広い宇宙にはそんな概念とまったく関係ないなにかがいても不思議ではないだろう。
それを「生命体」と呼ぶかどうかは知らない。
生命というのも地球上の発想、概念であり、地球をいったん離れてしまったら通用しないのかもしれない。
そういう意味で「命」はこの地球上にしかないといってもいいのかもしれない。

宇宙人でまあ認めてもいいのがエイリアンに出てくる宇宙怪獣である。これも地球の発想であはあるが物を仔細にわたって精巧に作った地球の技術に感嘆する。



エイリアン
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