クルディスタン東部
☆Sardasht”国境”地帯で
地雷爆発:
kolber1名が片足を失う
kolber(日雇い越境荷役労働者)が、Rojhilat(クルディスタン東部)とBashûr(クルディスタン南部)間の”国家境”上での地雷爆発により負傷した。
爆発した地雷は、80年代の”イラン・イラク戦争”中に敷設もしくは埋設されたままとなっているものとされ、ここでもツマラヌ国家間の争いの遺物が、国家の経済政策で貧困においやられているクルディスタン東部住民の、なけなしの暮らしを支えるための細やかな稼ぎの機会にさえ襲いかかっている。
続くイラン政府軍によるkolber銃撃の危険を回避するために、可能な限り早く”荷主の要求”にこたえて稼ぎを得るべく地雷敷設の可能性のあるルートをも危険を冒して大荷物を運ぶ日雇い仲間にそれらは容赦なく襲いかかっている。彼らをこうまでしてやらざるを得なくしているものは一体何かを考える時、明確に抗い闘わねばならない敵の姿がそこに見える。
クルディスタン人権協会(KHRA)からの情報によると、2017年10月22日、Urmia州Sardasht県とPiranshahr県の間のNîwejin村付近で、イラン政府軍が敷設した地雷が爆発して、36歳のkolber1名が左足を失った。
1980‐1989年まで続いた”イラン・イラク戦争”中にクルディスタン東部とクルディスタン南部の間にある”国家境”上に大量の地雷が埋設されたが、同戦争終了後も処理もしくは撤去されて来なかった。
そのために、毎年、数十名づつほどが”国家境”を挟んだ両側で命を失い、また、ほかにも数十名ほどづつが負傷している。
統治者や統治機構が始めた近隣における戦争で犠牲や責任を負わされるのは”そのシマの住民”であり、そしてその後始末をやらされたり、その遺物の爆発で犠牲になるのも”そのシマの住民”である。それもよりにもよって、最も犠牲を負わされ、統治者や統治機構が”取るに足りない”などと数えにさえ入れない貧窮にあえぐ住民である。 奴ら統治者や統治機構が勝手に始め勝手に動員し、勝手に”終わった”などと寝言を言っていても、奴らがそのゴタゴタをすり抜け奴らの保身が終わった後も、奴らの無責任のもとで犠牲は続くのだ。