氣楽亭 日乗

大阪生まれで奈良県広陵町の長閑で氣楽な田舎暮らしの氣功師が氣ままに綴る懐かしい昭和の年代記です。

臭豆腐

2006-07-14 00:12:12 | 台湾懐旧
台湾の「夜市」を歩いていると異様な臭気がしてくる・・・
ドブ河のドブ泥の臭い?
ヘドロのメタンガスの臭い?
昔懐かしい「田舎の香水(下肥)」の臭い?
初めて訪れた「夜市」での初体験・・・驚きました。

「臭豆腐」と言う台湾で有名な食べ物の臭いです。
脂ぎった中華鍋の中で強烈な臭いを振りまいている不思議な食べ物でした。

この食べ物は口に入れたとたん喉の奥から鼻にアンモニア臭がツーンと込み
上げて来て涙目に成ります。
恐ろしくて二度と手は出ません・・・参りました。
でも台湾少姐には大人気な食べ物です。

「岡八郎」ではないのですが思わず「クッサァ~」のセリフが出ました。

夜市

2006-07-13 16:53:02 | 台湾懐旧
台北市内の「夜市(夜店屋台街)」は「萬華」の「華西街」が有名です。
「萬華」の「華西街」は「龍山寺」の門前町で栄えた下町で有る。
昔には「寶島里」という色町も有って殷賑を極めた街です。

今は「観光夜市」として沢山の観光客がツアーバスで訪れる。
「蛇料理」の店が軒を連ね客の前で生きた蛇を料理し食べさす。
怪しげな「精力剤」を売る店も有り異様な雰囲気の街である。

台北市の北部「士林」には女性向の衣服やアクセサリーに軽食を食べさす屋台街
で有名に成った「士林夜市」が有る。
毎晩深夜まで家族連れや女の子達で賑っている人気スポットです。

付近には女子大や専門学校も有り地元のギャルで一杯に成る。
最初に訪れた時から「士林夜市」の大ファンに成りました。

圓環公園

2006-07-12 00:34:42 | 台湾懐旧
「圓環公園」は「台北車站」裏側の「重慶北路」を北に行き「南京西路」に
交差する「ロータリー」に有ります。
丸い建物の内部全部が飲食店の屋台に成っている。

夜になればロータリーに続く「寧夏路」の両側には屋台がビッシリと並び
「民生西路」まで「夜市(夜店)」が賑う。

しかし「台北車站」の再開発で周辺は近代的なビルに変貌した。
駅裏の「重慶北路」のゴミゴミした商人宿や地方からの仕入れ客で賑った
問屋街は再開発の影で寂れてしまう。
夜ごと賑った「圓環公園」や「寧夏路」の「夜市」も過日の面影は無い・・・

時代の移ろいと共に盛り場も移ろうのは必然で有る。
理屈では理解できても・・・なんだか悲しくなるのは何故でしょう。

汽水

2006-07-11 08:15:46 | 台湾懐旧
「汽水」は「サイダー」の事です。
台湾では「黒松汽水」が有名で「黒松」と言う会社の製品をよく見かけました。
バスや列車の背もたれのカバーに広告が印刷されている。

「旅途愉快 黒松汽水」
こんな清涼飲料会社の広告です。
「旅途愉快」・・・なんて語感の好いコピーでしょう。
何となくフラリと度に出かけたくなるグットな広告でした。

「黒松汽水」・・・今でも健在でしょうか?


汽車

2006-07-10 00:44:58 | 台湾懐旧
「汽車」は北京語で「自動車」の事です。
しかし判っていても台湾の書店で背表紙に「汽車雑誌」なんて書いてあると
ドキっとして手にとってしまいます。
鉄道関係の雑誌か?と思うのですが自動車関係の雑誌でした・・・

台北市内を散歩していて「汽車学校」の宣伝看板を見かけて驚きます。
機関士を養成する学校が有るのか?
有る訳無いですよね「自動車学校」でした・・・

台湾の自動車は右側通行で左ハンドルです。
センターラインの無い田舎道を走るとつい左側通行をしてしまう・・・
駐車や停車する時に間違って左側に停める事が有る。
事故はした事は無いのですが台湾人の友人は恐怖に慄きます。
誰も助手席に乗るのは嫌がり・・・運転させて貰えなく成りました。

火車

2006-07-09 08:11:05 | 台湾懐旧
「火車(ホゥチョゥ)」は「汽車」の事です。
しかし1970年代には台湾でも「蒸気機関車」は幹線を走っている姿は見かけ
ませんでした。
主な幹線は電化されています。
非電化区間は「柴車(ジーゼル車)」が走っていました。
台湾でもローカル線が良い雰囲気であちらこちらと乗り歩きます。

台湾の「鉄道員」は何処から見ても「旧国鉄」のオジサン達と瓜二つでした。
くたびれたズボンや雰囲気が共通しています。
置き去りにされた日本人みたいでドキリとさせられる・・・

私は相反して日本人に見えないらしく「外省人」と間違われた。
「外省人」は戦後国民党と共に中国大陸から逃げて来た人達の事を謂います。
体が大きいので「山東人」と間違われる事が多かった。
下手くそな北京語と台湾語の所為かもしれません。
中国は広くて方言が多く北京語が下手くそな人達が沢山居るのです。

台北車站

2006-07-08 08:25:06 | 台湾懐旧
「台北車站」は「台北駅」の事です。
現在の台北車站は再開発で姿を一新し昔の面影は有りません。
台北市内の「台湾鉄路局」の路線は全て地下に移されました。
台北市内の交通渋滞の解消の為です。

昔の台北市内は南北に「台湾鉄路局」の線路が有り踏み切りは大渋滞でした。
台北~高雄の「縦貫線」に台北~淡水の「淡水線」、台北~基隆の「基隆線」の
軌道が市内を横切っている。
鉄道好きな私はその風景が大好きでした。

昔の「台北車站」は薄汚く暗い地上駅で風情が有ったのです。
プラットホームが「月台」と表示してある・・・なんと優雅で素敵な語感で
しょう。
私は台湾が大好きに成ったのです。

松山機場

2006-07-07 08:47:40 | 台湾懐旧
昭和54年に「中正機場(桃園空港)」が開港されるまで台湾の空の玄関は
台北市内の「松山機場」でした。
今でも高速公路(高速道路)をはさんだ北側に有る国内線の松山機場(空港)」
です。

何故に覚えているかは・・・長男が誕生した1979年だから。
当時は蒋介石政権の国民党政府で軍事独裁政権でした。
中共とは臨戦態勢にあり自由は少なかったのです。

「入境(入国)」のイミグレーションでは長髪の「ヒッピー風」は審査が厳し
かった。
「海関(税関)」検査も執拗で厳しく日本語の出版物や英語の雑誌などは持ち
込み禁止です。
もし知らないで雑誌、新聞などを持ち込むと・・・没収でした。

しかし台湾の高度成長が始まったのもこの頃からです。
台北市内には高層建築も少なく長閑でなんだか昔の日本の佇まいがあちこちに
見かけられた。

いまも国内線の「松山機場」は同じ場所に有りますが少し寂れた感じがします。
しかしその感じが当時を彷彿させてなんとも懐かしい・・・