氣楽亭 日乗

大阪生まれで奈良県広陵町の長閑で氣楽な田舎暮らしの氣功師が氣ままに綴る懐かしい昭和の年代記です。

見世物小屋

2005-07-02 10:39:29 | 懐かしい商売
千日前の空き地に見世物小屋があった。
テント掛けの小屋で看板は泥絵の具でグロテスクな描写だった。
記憶にあるのは「ロクロ首」「蛇女」「蜘蛛女」「空気獣」などである。
入場料は10円くらいであったように記憶している。

しかし当時の十円はそれなりに使いでがあったのです。
国電や市電、市バス、地下鉄の初乗りが10円だった。
市電や市バスは1区なら何処まで乗っても10円である。
素うどん、そば(東京のかけうどん)の代金が10円。
タバコのピース一箱(10本入り)が40円、光一箱(10本入りが30円)だった。
物価は安かった。(給料も安かったらしい)

「ロクロ首」は子供が見てもアホラシイ仕掛けだった。
着物を着て座っている女性の実物大の人形があり、後ろには黒い幕がある。
人形の首から上が日本髪を結って化粧をした本物の女性で黒幕の後ろから顔だけ前に出して人形の首の位置に顔を突き出している。
黒幕の外の首には白い生地で作り物の首が伸びたり縮んだりする。
説明のおじさんの口上に合わせて幕の後ろの女性はしゃがんだり立ったりするのだ。

「蛇女」は半裸の女性が青大将やシマ蛇を体にクネクネと巻きつけるだけだった。
「蜘蛛女」は上半身が日本髪を結って化粧をした女性で下半身は作り物の蜘蛛である。
「空気獣」は水槽の中に染料をいれた水色の水が有りオジサンの口上で得体の知れない(動物の内臓に空気を入れて膨らましてある)グロテスクな物体が浮き上がったり沈んだりする。

どれもが悲しいくらい杜撰で稚拙な見世物であった。
しかし騙されても腹も立てず楽しんでいたのは不思議だった。

他に娯楽も無いし「あ~あほらしかった。」と言うお手軽な娯楽だったのかも?
見世物小屋は高度成長と共に徐々に姿を消しました。

お化け屋敷

2005-07-01 10:33:03 | 懐かしい商売
昭和20年代の後半には大阪市内中心部にも空襲の焼け跡があちこちにあった。
千日前の大劇の角(南海通り)までは鰻の出雲屋など店が沢山ありました。
南海通りを過ぎて南へ行くと道具屋筋までは焼け跡の原っぱだった。
現在のNGK(吉本のなんばグランド花月)の場所だ。
NGKの以前は吉本ボールというボーリング場だった・・・
その前は・・・記憶が曖昧なのだか焼け跡の原っぱに繋がるのです。

夏になれば小屋掛けのお化け屋敷や見世物小屋が幾つも並んで興行を打っていた。
夏場以外は見世物小屋が主体で小サーカスなどもあったように思う。

メインは夏のお化け屋敷で不気味で気味悪い泥絵の具の看板が客の気を引いた。
呼び込みのオジサンのだみ声が恐怖を引き立てる。
足場丸太で組み立てキャンバス地でテントを作ってあった。
通路の仕切りはゴザやムシロで悪ガキは裏や横から入り放題だった。

なかは四谷怪談の場面や本所七不思議の場面など伝統的な趣向だった。
場面を繋ぐ通路が曲者で便所(作り物の演出)を通らないと次に行けないのだ。
汲み取りトイレの便器を跨がないと進めない。
跨ぐとトイレの下から骸骨の手が出てきて足をなぜる・・・
本当に怖かった、怖くて小便を漏らす子供も居た(私では有りません)し引き返す大人の女性も居た。(これは私の母親と従姉妹です)
母は引き返し「入場料を返せ」と入り口でもめていた。
入り口でトラブルと客が入らないのでオジサンは困り母に謝っていた。
そして裏でお金を返してもらいテントの横から出てきた。
私は次の日から母達が出てきた従業員の通用口からコソコソと無賃で入るようになった。
シーズンパスを貰ったようで得意になって友達を沢山連れて入った。
「お化け屋敷のオジサンただ入りしてごめんなさい」
楽しい夏の思い出です。

輪タク

2005-06-27 10:21:58 | 懐かしい商売
ベロタクシー(人力自転車タクシー)が東京、京都、などで人気があるそうだ。
愛地球博覧会の会場にもあるらしい。
省エネルギー、スローライフ、地球に優しく、エコロジー・・・今の流行言葉。
でも電動アシスト付きのベロタクシーはちょっと変だと思う。
ドイツから輸入したベロタクシーもあるらしい。

またもや敗戦後の話になるんですが・・・
あのころ「輪タク」と謂う自転車タクシーが有りました。
自動車が輸入出来ません(外貨が無いから)でしたし国産車もありません。
重工業はアメリカの犯罪的な無差別爆撃で壊滅状態でした。
勿論のことガソリンは貴重でした。
タクシーやハイヤーは一部の特権階級(高級官僚、闇成金、財界)のものでした。
庶民は公共交通機関を利用するしか手立ては無かったのです。

そのころ豊富なのは人力(沢山の失業者、復員軍人)だけと言う悲しい事情があったのです。
自転車を三輪車に改造して後ろに二人くらいの客を乗せる「輪タク」が出来たのです。
前は自転車で後部に二輪を付けそこを客席に改造しキャンバス地で屋根とドアを装備していた。
しかし坂を上るのは大変だったと思う・・・
我が家の前の千日前通りは下寺町を過ぎて松屋町を越えると谷町九丁目まで急な坂道です。

ベロタクシーも輸入なんかしなくても昔の「輪タク」を再登場させれば良いのに・・・
日本の技術で再設計したら素敵な「輪タク」が出来ると思う。

エコライフが流行ではなくてスローライフしか出来なかった時代の話です。
でも頃日は無闇にあの頃が懐かしいのです。
夏が来ると思い出します。