パソコン教室きらく館教室日記

教室での出来事や塾長の生活を綴ってみます

丹波 柏原(かいばら)へ

2018-03-13 10:42:34 | 教室情報
3月11日(土)ある目的があって丹波市柏原に行きました。
篠山口から福知山線のワンマン電車に乗り換え、並行して流れる笹山川と山あいの地形と農地が交互に移り行く車窓の景色を見ながら、やがて開けた平地の広がる柏原駅に着きました。



第1印象は、清楚で落ち着いた趣きが強く感じられる町でした。
市内を歩き回り、地元の方に話を聞いてその理由が分かりました。

 
町の中心に位置する「柏原八幡宮」「三重塔」
国の需要文化財「柏原八幡宮」は平安時代の万寿元年(1024年)京都岩清水八幡宮の別宮として創建されました。



「柏原藩」は前期と後期に分かれます。
前期は、慶長3年(1598年)織田信長の弟信包3万6千石を与えられて始まりました。
柏原八幡宮を中心に町が整備されました。
3代藩主信勝には嫡子がなく、慶安3年(1650年)信勝の死去とともに廃絶しました。


「織田信包像」
地元の人々には前期織田家が慕われているそうです。

後期は、元禄8年(1695年)に信長の次男。信雄の玄孫にあたる織田信休が大和松前藩から栢原(現栢原)に国替えになり、その後10代にわたり明治4年(1871年)の廃藩置県を迎えるまでこの地を治めました。

   
「柏原藩陣屋跡」                  「陣屋内部」      道路の左手が陣屋、右手が歴史民俗資料館
国の史跡「陣屋跡」は、織田信休が移封後正徳4年(1714年)に造営したものです。

その他見所
 
 「たんば黎明館」             「太鼓やぐら」

  
 「田ステ女」         「木の根橋」          「織田神社」

県有形文化財「たんば黎明館」は7、明治18年(1885年)に建設された旧氷上高等小学校。近代初等教育施設の建築物としては、兵庫県下では最古の部類
市指定文化財「太鼓やぐら」は、藩政時代の時報・警報に用いられた櫓。内部は三層で最上層の楼上には「つつじ太鼓」という大太鼓がつるしてあります。
「田ステ女(でんすてじょ)は、柏原が生んだ田(でん)家のステという女流俳人、
    『雪の朝 二の字二の字の 下駄のあと』
県天然記念物「木の根橋」は、樹齢1000ねんとも推定されるケヤキ。巾8mの奥村川をまたいで自然の橋を成しています。

※神社・仏閣のとにかく多い町でした。「自治会ごとに神社がある」と地元の人は言います。
 神様が多い町だからこそ「清楚で落ち着きのある空気」に満ちていたのかな、と思いました。


ここも近年、人口減少と高齢化に頭を痛めているそうです。
それに負けず、まち全体で町の活性化に取り組んでいるようです。


それが「丹波ハピネスマーケット」
丹波ハピネスマーケット

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