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我が家の家系図

2011-09-08 22:13:44 | 日常
夏休みの後半の事。母親と雑談していると、いつものように昔話や親戚の誰さんがどうのこうのとはじまりますが、私の知らない親戚の名前が出てくると、きまって「どういう間柄」と聞き返します。いつもなら「ふうん~」で終わってしまうのですが、今回ばかりは違いました。「じゃあ、私が紙に書くから親戚の名前をあげてよ」っていうことになり、8/17日は、母親が知っている限りの名前を全て聞き出しました。その数約300名。今の時代、フリーソフトでも家系図作成のツールがあるだろうと、ベクターを検索してみたら、様々な家系図ソフトを見つけました。横須賀に戻ってから早速入力に取り掛かり、2日でほとんど入力を終えました。その後、親戚のおばさまや私の同級生から聞き出して、不明な名前をかなり明確にし、9/3日現在で404名の名前の登録を済ませました。何れ親戚の方々に配布する予定でいますが、その手段をどうするかが現在悩みの種。はがきを出してメルアド聞いて配信するのが最も手っ取り早いやり方ですが、親戚の中にはネット環境やパソコンすらない家庭もあると聞いています。紙ベースで配布するのが一番ですが、家庭用のプリンターでは張り合わせになってしまうし、費用も馬鹿になりません。さて、どうしよう~。

さて、親類で著名な方をあげますと、柔道の寝技で有名な小田常胤さん、河口湖町で観光のカリスマといわれた小佐野常夫さん、詩吟の野島恵美子さん、防衛大学の教官を務めた小佐野亘さんがいます。



星空宇宙天文検定受験

2011-07-24 23:33:06 | 日常
一昨日の冷気はどこに消えたのでしょう。
今日はまた蒸し暑い1日でした。
星空宇宙天文検定、略して「星検」。
本日、三鷹まで行って、その検定を受験してきました。
試験会場は三鷹駅から7分ほど歩いた、三鷹産業プラザというところ。
自宅からでは遠いので、電車のトラブル等を考慮し、
少し時間に余裕を持ってでかけ、40分ほど前には現地入りしました。
会場ではまだ4級を受験している最中でしたが、
4級と3級を受験している世代は、はっきりと分かれていました。
4級は10代~20代の若者世代、
私が受験した3級は大学生~壮年世代でした。
総受験者数は、各級共約140名程度でした。
設問数は25問で、試験時間は60分。
出題数や時間は適切でしたが、7割以上が合格ラインなので、
7問まではミスっても大丈夫なんですが・・・・・。結果5問ミスりました。
答案用紙は今にしては珍しい記述式で、マークシートではありませんでした。
さて、先ほど自己採点が終わり、8割できていましたから合格ラインには達していると思いますが、
決して簡単に解けたわけではなく、ややもすると7割には満たなかったかも知れません。、
テキストをみっちりやっただけでは、解けないことも判明しました。
しかしながら、おいしい問題もありました。
最近受信した、アストロアーツの星空アナウンスの記事で、海王星が発見されてから165年という、
そのものずばりの問題や、今朝たまたま早起きして空を見たとき、明るい木星を見たんです。
まさにそれが問題で、このあたりに輝いている惑星は何?という問題でした。
早起きは3問ではなく、1問の得でした。
また、昨日の臨時総会で勉強した、あのフォーマルハウトやみなみのうお座そのものが出されました。
危うかった問題としては、ある観測地点を求める問題でした。
それは2月下旬に、オリオンの三ツ星が天頂に見える場所は次のどこかとか、
これから起こる金星の日面通過の現象や、
日本人初の宇宙飛行士秋山さんが宇宙旅行をしたのは何年か? という設問もありました。

第2回の試験日は2012年1月15日に決定しています。
是非、頭の体操、いや自己研鑽の為にチャレンジしてみましょう。
さらに上の2級1級は手ごわい感じがしていますが・・・・・・。
以上報告まで。




星検に挑戦

2011-07-01 00:10:27 | 日常
星検のテキストが、
本日アマゾンから送られてきましたので、
早速120問を解いてみました。
全問正解といきたかったのですが、
そんなに甘いものではありませんでした。
5問もミスってしまいました。

・ギリシャ神話の問題。
・絶対等級の明るさの問題。
・月の現象と旧暦に関する問題。
・地球を周回している衛星等の中で最も遠い軌道にあるものは何かという問題。
・プロキオンの名前の定義の問題。


竹内泰子先生の自費出版本届く

2011-05-05 23:26:25 | 日常


4/29日に「星にささげる瞳」という自費出版の冊子が送られてきました。
竹内泰子先生は、この冊子の完成を見ることなく、平成22年7月12日に星界に旅立たれましたが、
生前に、「これまで書きとめたものを冊子にして欲しい」というご本人の希望があり、
山根秋郷氏を代表とする「竹内泰子記録会」が編纂を行い、この程冊子が完成しました。
この本はA4サイズで、546ページのしっかりとした製本になっています。
表紙には、山根氏が撮影された彩雲と村上氏が書いた泰子先生のイラスト画があり、
このイラスト画は、泰子先生が教壇に立たれている頃のお姿を想像させるものです。
この冊子の構成は次のようになっています。
■目次   Ⅰ部  泰子樹影
       Ⅱ部  緑陰回廊
       Ⅲ部  泰子覚書
第Ⅰ部では、この本の出版にあたり、29名の方々が泰子先生に対する思い出を寄せたページです。
著名な天文家をはじめ、姪の投稿もあります。
第Ⅱ部では、泰子先生の生きた足跡を、89ページに渡り、写真、絵画等で紹介しています。
そして、第Ⅲ部では、先生自ら残した原稿や兄寅太郎氏の自分史を交えて過去を振り返っています。
小学4年生の頃、兄から教えてもらった星の事が切っ掛けとなり、天文学への思いを熱くします。
ところが、その天文学の道は、階段を上るように順風満帆にはいかず、幾多の障害が泰子先生の前に立ちはだかります。
それはその時代背景だったり、父浅助の半ば傲慢ともいえる考えとの隔たりに悩む乙女心が詳細に記されています。
泰子先生が執筆された天文に関する記録は、変光星に留まらず、流星、掩蔽、彗星、人工衛星、日食と、その分野は広範囲に及びます。
天文学に関する随想録やエッセイ、日記等の原稿も、約200編ほど書き残しています。
後半にある年譜もきちんと整理してあるところをみても、泰子先生の几帳面な性格を知ることが出来ます。
この本は、基本的に泰子先生の自分史になりますが、読んでいくと単なる自分史ではなく、
天文学の発展や貢献、そして星への啓蒙活動を実践してきた先生であることが分かります。
また、戦前、戦中、戦後の厳しい時代を生き抜いた、数少ない女性アマチュア天文家としての意気込みも感じられます。
この本は、一人の女性アマチュア天文家が書き残した、観測記録書というか天文書といえなくもありません。
変光星に興味がある方、いや、天文学、星に関心がある方に、是非とも読んで頂きたい一冊です。
といっても、非売品(350部印刷)ですから、入手できるかどうか分かりませんが・・・・。

<追記>
竹内泰子先生とは、1988年の変光星観測者会議の席上で初めてお目にかかり、
それ以来のお付き合いをさせて頂いておりました。
変光星関連の会合があると必ずといってよいほど、お姿を拝見しました。
10年も前のことですが、先生とは電話で夜通し熱く星の事(変光星)を語ったことも何度かありました。
最後にお会いしたのは、三鷹にある国立天文台のイベント会場内でした。
偶然の事でしたが、先生の方から声をかけられ、その時はとても元気そうで安心しましたが、
観測の方はそろそろ引退されるような発言をされていました。
昨年、先生の訃報を知り、最後のお別れに参列したかったのですが、
平日ということもあり、仕事の調整もつかず欠席したことを今でも後悔しております。
先生は、ご自身の事はあまり話されなかったので、
この冊子を通して、先生の発見沢山見つけました。
先生の生きた証を知る上では大変貴重な冊子です。
この本を読むまでの私が知る先生は、
物腰の低い優しいおばちゃまとという印象でしたが、
いやいや、あまりにビッグな先生とお見受けし、大変恐縮している次第です。
先生の星への思い、情熱が伝わってくるこの冊子、我が家の家宝にしたいと思います。
最後に、この冊子の編纂の為に、ご尽力をされた山根様を含むスタッフの方々に敬意を表します。
有難うございました。

2011年05月05日




悲しいかな

2011-03-23 23:56:33 | 日常
昨日の朝、突然悲しい知らせが飛び込んできました。昨日、107歳の誕生日を迎える予定だったおばあちゃんが、食べ物をノドにつまらせ亡くなってしまいました。意識も体調もしっかりしていたのに、なんという死因。間接的にしか聞いていませんが、何たる失態でしょう。あの元気さなら、あと10年ぐらいは元気でいてくれるものと信じていたのに。悔しくて悔しくて。
明治、大正、昭和、平成と激動の世の中を1世紀生きてこられたのだから、凄いことです。早くに旦那様を失い、女1人で仕事をしながら5人の子どもを育ててきたのですから、大変立派なおばあちゃんでした。
いつも元気をくれたおばあちゃんに感謝感謝。もっと長生きしてほしかった。


3/11日の大地震

2011-03-12 22:54:51 | 日常
昨日の地震はとにかく揺れました。
午後2時46分、横揺れが始り、かなり長い事揺れていました。
ちょうどその時、会社の2階で仕事中でした。
もうどうしてよいのか分からず、ただ呆然と立ちすくむだけ。
周囲の社員も意外と冷静に自席でじっとしている人が多かったような。
中には、机の下に身を隠す人も。
これまでに:経験のない揺れでした。ラジオの速報では、震度5強とか。
この時頭の中で考えていたことは、「すぐに非難しなければ」と。
しかし、危険は外にいても社内にいても同じことだろうと思い、
結局は社内にずっと留まっていました。
生きた心地のしない数分間でしたが、ようやく揺れが止まった時は、本当に安堵しました。
震度5強の割には、社内の被害は全くといってよいほど皆無でした。
特に棚から落ちるものも倒れるものもなかったし。
そして、約30分後に同程度の2度目の揺れが・・・・。
安堵したのも束の間で、またしても横揺れが長い事続き、
この時も生きた心地がしませんでした。
今度こそは建物が倒壊するだろうと、一瞬脳裏を掠めました。
この時も梁の下の方が安全と考え、私は1メートル程自席より移動。
座っているより立っていたほうが揺れの感覚を弱く感じる事を知っていたので、
それを実践。そのお陰で、少しは恐怖心が薄れましたけど。
2度目の揺れでもビルは倒壊せず、じっと持ちこたえてくれたことには感謝しました。
その後も頻繁に余震が続き、もう仕事どころの騒ぎではありませんでしたが、
定刻の午後5時半までは、CADの仕事に打ち込みました。
2度目以降の揺れは弱い物ばかりでしたが、余震の多さには閉口しました。
まるで「めまい」のようなフラフラする感覚です。
夕方になり、上司より家族・社員の安否確認が行なわれ、
とうとう、1名だけ早退した社員の行方は分からずじまいでした。
そして社員の退去命令が下るわけですが、
課長以上の社員は幹部として残らなければいけない社内規則がある為、
私と帰宅難民の社員は会社に残り、会社で支給してくれたお弁当を食べて、
空腹をしのぎました。
この頃、ワンセグの携帯を持っていた女子社員の画面を見て絶句。
なんと、津波が押し寄せ、住宅、車等がフワフワと流されている場面が映し出されていました。
悲惨な光景です。スマトラ島で起きた地震による津波でみた、あの同様の光景でした。
午後10時近くになり、この寒い社内での泊まりは無理と考え、
ここから5キロほど離れている、目黒に住む姉の家に徒歩で向かいました。
時間にして1時間ほどで:現地に到着。
途中、2回道に迷いましたが、通りすがりの人に尋ねて何とか到着できました。
職場から20キロ歩いてきたという、親切な方にも助けられました。
姉の家には義兄も帰宅していて、やはり職場のある千代田区から徒歩で2時間半ほどかけて
帰宅したとのことでした。
姉の家では、暖かい布団の中で眠ることが出来ましたが、
夜中にも弱い余震が5回もあり、その度に目が覚め、
実際のところは熟睡できませんでした。
翌日は朝8時に起床し、朝食をご馳走になった後、
電車の運行状況をネットで確認してもらい、
一部運行を再開している路線があったので、
午前9時半に目黒線から帰路に向かいました。
目黒駅では、山手線が内周りだけ運転を再開していてすぐに乗車するも、
電車はいっこうに発進せず、30分は待たされました。
五反田駅についても時間調整があり、10分は待たされましたし。
品川駅に到着すると、ホームや通路は帰宅難民だらけ。
自分の歩くスペースの確保がやっとの状況でした。
京急が運行していたのでその車両に乗車し、午後0時30分に無事帰宅できました。

以上

PS:そういえば今月4日に、茨城県の下津海岸だったか、52頭のイルカが海岸に打ち上げられた事件がありました。
   最近地震が起きたニュージーランドでも、地震発生の1日前にイルカやクジラ騒動がありましたから、
   何か関連がありそうな気がします。



結婚記念日

2011-02-19 21:09:54 | 日常
今日は27回目の結婚記念日。
思い出に残る記念日にしようと思い、朝からヒレンジャク探しに出かけましたが、
3時間待てども一向に現れる気配なし。
変わりに、近くの梅林で頭の白いスズメ1羽を見かけたことが記念になりましたけど。
でも物足りないなあ。


インターネット

2011-02-19 21:01:06 | 日常
先月、価格COMのキャンペーンにのせられ、ADSLを止めて光ファイバーに変更しました。
昨日まではそれなりに光の速さを感じて快適でしたが、今日になったら全くインターネットに接続してくれません。
色々とからかってみたものの全くダメ。3時間たってからあることに気づき、無線ランの接続端子を別のところに差し込んだところ、なんとか復帰しました。なんたるこっちゃ。もっと早くに気づけばよかった。貴重な3時間を返せ~