本日、大河ドラマ「義経」が終了しました。これまで書物でしか知り得なかった人物でしたが、このドラマを見て、義経に関係があった人物などが手に取るように見えて、義経以外の人物像もわかり、1年間本当に楽しませてもらいました。見る前と見た後では義経に対する見方も変わりましたし、義経の人柄や強さ等も魅力ある人物像として現れ、約800年経った今でも義経人気が絶えない理由も窺い知れましたし、多くの伝説が生まれたのも当然のような気がします。ドラマを見る前は「平家を滅亡させた立役者なのになんで鎌倉にあたたかく迎えられないのか、31歳の若さで、哀れで不憫な短い人生だったんだなあ」という思いが強烈でしたが、今はそうは思わなくなりました。ドラマ終了後は、義経の人生は決して不幸ではなかったように思えるようになりました。彼の母、兄弟、清盛入道、吉次、彼に付き従った主従達等、彼を取り巻く人々達に恵まれていた事を考慮すれば幸せだったと思います。いつもそばにいて裏切ることなく、最後まで付き従った主従がいたという事は最大の幸せだったといえるでしょう。本日の台詞で「また生まれ変わっても会おうぞ」という台詞が印象的でした。歴史を知るという事は、すなわちその時代に生きた人物の生き方を知る事であり、人はどう生きるべきかを教えてくれるバイブルでもあるように思えます。下手な宗教本を読むよりは、歴史上に登場する人物像を知る方が、数倍も説得力があるように思えてなりません。私も800年前に生きていたら、義経の懐に飛び込んでいたでしょうね。益々義経の魅力にひかれる今日この頃です。
今、NHKの大河ドラマの「義経」をみて、あの時代背景にかぶれている小生です。「いい国(1192)作ろう鎌倉幕府」なんて覚えた学生の頃の小生は、日本史なんてまったく関心がなかったのだけれど、同大河ドラマで「武田信玄」を放映したあたりから日本史にはまり出しました。日本人のくせに日本の歴史も知らない自分が情けなく思ったもので。やはり歴史の面白さというのは、その時代背景や経緯を知らないと、ただ年号だけ覚えていたって何の役にも立ちませんね。その1192年に幕府を開いた源 頼朝の年齢と小生が同じ年だった事、本日知りました。46歳で鎌倉幕府を開いたなんて凄いぞ。小生は頼朝という人はあまり好きではないので、好感度からすれば、義経の方が一枚も二枚も上なんですが。でも頼朝が鎌倉に拠点をかまえ、始めて東国に武士政権をうちたてたということはすばらしいことです。義経は平家を滅ぼすだけの為に生まれてきたような人ですが、頼朝は東国武士団の頂点にたち統制をとってきたのですから、たいした器です。平氏が身内で役職をかためたのに比べ、鎌倉幕府は主従関係でなりたってきたのだけれど、頼朝死後はそれも崩壊するのだから、統制をとるのは難しいことなんだなって思いました。ドラマを見ていると、小生には忠誠心の強い誠実でやさしい義経像が浮かび上がるのだけれど、頼朝にはそういうふうには映らなかったのでしょうか。(やはり冷酷で猜疑心の強い男なのか?)平家滅亡に最大の貢献のあった義経を暖かく鎌倉に迎えいれ、共に手を携えて幕府をきりもりしていたのなら、その後の源氏の悲劇は少しはなくなるだろうと推察するのは小生の独りよがりでしょうか。