『邪馬台国と卑弥呼-25 苗(みゃお)族』(Renaissancejapan)リンクより転載します。 ---------------------------------------------------------------- 東アジアの人々の顔は似ていますが、日本人とちょっと違うなと感じる事が多くありますが、苗族の人たちに違和感を感じません。
苗族は、中国の少数民族で、貴州省はじめ、湖南省、雲南省、四川省、広西チワン族自治区、湖北省、海南省に住んでいます。 そのルーツは、稲作発祥の地である長江中流域とされ、米食を主食とし、塩や酢で味付けした魚などの副食とともに1日3食とります。 また日本の納豆菌と遺伝的に同種の納豆、赤飯、餅、なれ鮨、味噌、醤油があり、さらに高床式倉庫、鳥居、鵜飼など極めて日本の風習に近いものがあり、我々日本文化のルーツではないかとされています。
BC2000年頃、寒冷期を迎え、黄河文明(=漢民族=龍信仰)が南下し、長江文明(=太陽・鳥信仰)は破壊され、一部の人々がボートピ-プルとなって日本に流れ着き、次にBC800年頃にまた寒冷期を迎え、黄河文明の漢民族は東南アジアからポリネシアにまで進出し、三苗(苗族=太陽族・鳥族・蛇族)が長江流域を追われて西南部の山岳地帯へ逃れ、また一部の人々は、海を渡って日本に流れ着き(天孫降臨)、蛇(=三輪山)・鳥(=鳥居・天鳥船・八咫烏・白鳥:日本武尊)・太陽信仰(天照大御神=卑弥呼)をもたらしたと考えられます。
また、苗族は精霊信仰(アニミズム)で、女性中心の母権制社会で、女性のシャーマンもいたことからも、日本の邪馬台国に近いものがあり、魏志倭人伝にも江南人と倭人との習俗の共通性が記述されております。
日本周辺を流れる海流を考えても、中国南部から海を渡ってやってきたといのは、極めて自然であると思います。 出雲は出っ張っているので、対馬海流に乗って、この地にたどり着き文明が発達したのも自然で、鹿児島・宮崎に降り立ち(天孫降臨)、また北九州から瀬戸内海を渡ったルートもあるでしょう。
それが、古代米(熱帯ジャポニカ米)の炭化米が発掘された地域は、日本の海人族の拠点と一致しており、海を渡って稲作が広がっていったと思われます。
また、中国南部では、越が呉をBC473に滅ぼし、呉の一部の人々は、海を渡って日本に逃れ、 広島県の呉市などは、呉の人がつくった町ではないかと私は考えていますが、その後、BC333には越が楚に滅ぼされますが、この時にも越の人々が日本に逃れてきて、越国(福井県・石川県・富山県・新潟県・山形県)の米どころをつくったのではないでしょうか?
米に関わりのある越の国、また苗族(ミャオ族)の苗という漢字も気にかかるところです。 ----------------------------------------------------------------
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