235437 紙幣の死②
猛獣王S ( 不惑 営業 ) 10/07/31 AM00
『紙幣の死 2 』(今日の覚書、集めてみました)リンクより転載します。
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ドル、ポンド、スイス・フラン、またはチェコ・クラウンを持っていた外国人は贅沢に暮らした。彼等は憎悪されていた。「時は私たちを冷笑的にしました。誰もが自分以外の人間を全て敵だと思っていたのです」とハンブルクの魚業者の娘、Erna von Pustau氏は記した。
多くの人は次に何が起こるかわからなかった。或る人脈に恵まれた女性はこう記した。「親戚も友達も愚かでした。彼等はインフレの意味を理解しなかったのです。私たちの弁護士も似たり寄ったりでした。母の銀行の支店長など、酷いアドバイスを与えたものです」
「彼等のアパートの様子は徐々に変わっていきました。以前は絵がかけてあったりカーペットが敷いてあったり、秘書がいたものです。最終的には、部屋はほとんど空っぽになりました。中には物乞いする人もいました…路上でではありませんが、不意に知り合いを訪れたりして物乞いするのです。彼等が何を目当てにやってきたのか、よくわかっていました」
汚職も蔓延した。人々は町で強盗に襲われて、コートや靴を奪われた。勝ち組は、幸運によるものか計算ずくのことか、有形資産、または債務証券を発行していた産業コングロマリットを買うために、銀行から多額の借金をしていた人々だった。巨額の資産が預金者から債務者の手に渡った。もっとも、議会はその後、古い契約を金価格に結びつける法律を制定した。債権者はいくばくかを何とか取り戻したのだ。
インフレはドイツを滅ぼそうとするユダヤの陰謀だ、という陰謀論が根付いた。この通貨は、十年後に水晶の夜を引き起こす一連の事件をほのめかす、「Judefetzen(ユダヤ人のアメ)」として知られるようになった。
ワイマールの物語は不朽の社会崩壊研究だが、今日の事態には大して役に立たない。1923年の崩壊を引き起こしたとどめは、ドイツ産業の大部分を奪い大規模な抵抗運動を引き起こした、フランスのルール地方占領だった。
フランスはラインラントの分離独立を支援して、ドイツの崩壊を引き起こそうとしているのではないか(それこそ正にフランスが行ったことだった)、とロイド・ジョージ首相は疑っていた。反乱軍は短期間、分離独立政府をデュッセルドルフに立ち上げた。詩的正義により、この危機はパリにブーメランすると、フランス・フランを破壊した。
ベルサイユ条約のカルタゴの平和は、その頃までには何もかもを毒していた。敵国への賠償金にまわされる税金を納めないことは、愛国的義務だったのだ。ボルシェビキに影響を受けて、ドイツは共産主義者の大釜と化した。スパルタキストはベルリンを落とそうとした。労働者「評議会」が急増した。港湾労働者や造船労働者は、ハンブルクで警察署を占領し、バリケードをはった。共産党赤軍は右翼市民軍と血みどろの市街戦を繰り広げた。
郷愁の念が、ババリアのヴィッテルスバハ王家と金を裏付けとする旧通貨ターレルの復活を。ブレーメン議会は金と連動させた独自の紙幣を発行した。他はライの価格に連動した通貨を発行した。
これは2010年の米国、英国、またはヨーロッパの様相ではない。だが僕らは、これは日本の失われた十年のぬるいバージョンが繰り返されているだけだ、つまり、債務のデレバレッジがその規律を発揮するなかで、緩やかかつ概ね良性なデフレに陥るだろう、などという上記とは逆の、過剰に安心をもたらす推測には注意しなければならない。
20年前にバブルが弾けた時、日本は世界最大の対外債権国だったのだ。日本の貯蓄率はGDP比15%に上っていた。日本人はこれを2%まで徐々に減らして、長期不況の影響を緩和した。アングロサクソンにそんな緩和材料はない。
欧米が、グリーンスパンの資産バブル、ブラウン首相の信用バブル、そしてEMUのソブリン・バブルの過ちから、インフレによるステルス・デフォルトによって抜け出したい、という誘惑に駆られているのは明らかだ。だが、そのツケは何年も後になって回ってくるだろう。先ず、僕らはデフレ・ショックを受ける。通貨の流通速度が急激に加速し、中央銀行は度を越して、紙幣の増刷を制御不能にしてしまう危険を犯すのは、その後であって前ではない。弱り目に祟り目は御免でプリーズ。
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猛獣王S ( 不惑 営業 ) 10/07/31 AM00
『紙幣の死 2 』(今日の覚書、集めてみました)リンクより転載します。
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ドル、ポンド、スイス・フラン、またはチェコ・クラウンを持っていた外国人は贅沢に暮らした。彼等は憎悪されていた。「時は私たちを冷笑的にしました。誰もが自分以外の人間を全て敵だと思っていたのです」とハンブルクの魚業者の娘、Erna von Pustau氏は記した。
多くの人は次に何が起こるかわからなかった。或る人脈に恵まれた女性はこう記した。「親戚も友達も愚かでした。彼等はインフレの意味を理解しなかったのです。私たちの弁護士も似たり寄ったりでした。母の銀行の支店長など、酷いアドバイスを与えたものです」
「彼等のアパートの様子は徐々に変わっていきました。以前は絵がかけてあったりカーペットが敷いてあったり、秘書がいたものです。最終的には、部屋はほとんど空っぽになりました。中には物乞いする人もいました…路上でではありませんが、不意に知り合いを訪れたりして物乞いするのです。彼等が何を目当てにやってきたのか、よくわかっていました」
汚職も蔓延した。人々は町で強盗に襲われて、コートや靴を奪われた。勝ち組は、幸運によるものか計算ずくのことか、有形資産、または債務証券を発行していた産業コングロマリットを買うために、銀行から多額の借金をしていた人々だった。巨額の資産が預金者から債務者の手に渡った。もっとも、議会はその後、古い契約を金価格に結びつける法律を制定した。債権者はいくばくかを何とか取り戻したのだ。
インフレはドイツを滅ぼそうとするユダヤの陰謀だ、という陰謀論が根付いた。この通貨は、十年後に水晶の夜を引き起こす一連の事件をほのめかす、「Judefetzen(ユダヤ人のアメ)」として知られるようになった。
ワイマールの物語は不朽の社会崩壊研究だが、今日の事態には大して役に立たない。1923年の崩壊を引き起こしたとどめは、ドイツ産業の大部分を奪い大規模な抵抗運動を引き起こした、フランスのルール地方占領だった。
フランスはラインラントの分離独立を支援して、ドイツの崩壊を引き起こそうとしているのではないか(それこそ正にフランスが行ったことだった)、とロイド・ジョージ首相は疑っていた。反乱軍は短期間、分離独立政府をデュッセルドルフに立ち上げた。詩的正義により、この危機はパリにブーメランすると、フランス・フランを破壊した。
ベルサイユ条約のカルタゴの平和は、その頃までには何もかもを毒していた。敵国への賠償金にまわされる税金を納めないことは、愛国的義務だったのだ。ボルシェビキに影響を受けて、ドイツは共産主義者の大釜と化した。スパルタキストはベルリンを落とそうとした。労働者「評議会」が急増した。港湾労働者や造船労働者は、ハンブルクで警察署を占領し、バリケードをはった。共産党赤軍は右翼市民軍と血みどろの市街戦を繰り広げた。
郷愁の念が、ババリアのヴィッテルスバハ王家と金を裏付けとする旧通貨ターレルの復活を。ブレーメン議会は金と連動させた独自の紙幣を発行した。他はライの価格に連動した通貨を発行した。
これは2010年の米国、英国、またはヨーロッパの様相ではない。だが僕らは、これは日本の失われた十年のぬるいバージョンが繰り返されているだけだ、つまり、債務のデレバレッジがその規律を発揮するなかで、緩やかかつ概ね良性なデフレに陥るだろう、などという上記とは逆の、過剰に安心をもたらす推測には注意しなければならない。
20年前にバブルが弾けた時、日本は世界最大の対外債権国だったのだ。日本の貯蓄率はGDP比15%に上っていた。日本人はこれを2%まで徐々に減らして、長期不況の影響を緩和した。アングロサクソンにそんな緩和材料はない。
欧米が、グリーンスパンの資産バブル、ブラウン首相の信用バブル、そしてEMUのソブリン・バブルの過ちから、インフレによるステルス・デフォルトによって抜け出したい、という誘惑に駆られているのは明らかだ。だが、そのツケは何年も後になって回ってくるだろう。先ず、僕らはデフレ・ショックを受ける。通貨の流通速度が急激に加速し、中央銀行は度を越して、紙幣の増刷を制御不能にしてしまう危険を犯すのは、その後であって前ではない。弱り目に祟り目は御免でプリーズ。
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