(なかむらはちまんじんじゃ)
神戸市中央区日暮通2-4-11
立派な明神鳥居の奥に社殿が見えます。
〔御祭神〕
応神天皇
(おうじんてんのう)
鎌倉時代の天台宗の僧侶で、三千院の門跡であった後鳥羽天皇の孫 澄覚法親王の詠んだ歌からその名がつけられたという神戸市中央区の日暮通。このあたりは室町時代から江戸時代にかけて、摂津国莵原郡葺屋郷と呼ばれていたそうです。葺屋郷には生田村、熊内村、中尾村、中村、滝寺村、小野新田などがあり、1874(明治7)年にはこれら6つの村が一つになって葺合村が出来ました。葺屋の村が合わさったから「葺合」だと言われています。
それからしばらく経った1897(明治30)年頃、港を中心とした市街地の発展に伴い、葺合地域などでは都市化に向けて区画整理や道路整備が行われました。それによって新たな区割りが行われて様々な町が誕生することになります。
琴ノ緒町 … 「松の音を 琴に調ぶる山嵐は 滝の糸をやすけて弾くらむ」 (紀貫之)
東雲通 …… 「みつか夜の まだ臥し慣れぬ芦の屋の つまもあらはに明る東雲」 (藤原隆家)
雲井通 …… 「雲井より つらぬき懸る白玉を 誰れ布引の滝といひけむ」 (藤原隆家)
…といったように、多くの町名が和歌に因んで付けられたそうで、神戸市もなかなかロマンを感じさせる粋な事をしたと感心させられます。そんな経緯で名付けられた日暮通と、北接する八雲通の境を東西に走る葺合センター街沿いにある神社が、今回ご紹介する中村八幡神社です。葺屋郷中村エリアにあった八幡神社だから中村八幡神社と呼ばれているのでしょう。
1954(昭和29)年10月に再建された社殿。
明確な創建年代は不明ですが、9世紀末の元慶年間の頃に当地の有力者が京都の男山八幡宮から八幡大神(=応神天皇)を勧請してお社を建てたのが始まりとされています。昭和初期の書物には、中村八幡神社の古いご神体に『仁和丙午年(886年)』と刻まれていたことや、『寛元四年(1246年)』という刻印のある石灯籠があったということが書かれていますが、どちらも残念ながら残されていません。
社殿左手にある蛭子神社。商売繁盛の神さまです。
老朽化が激しかった社殿は1930(昭和5)年に建て替えが行われましたが、第2次世界大戦中の1945(昭和20)年に行われた神戸大空襲によって全焼してしまいます。そんな中村八幡神社も1954(昭和29)年に氏子の皆さんのご尽力によって再建され、鉄筋コンクリート造りの立派な社殿が建てられました。1995(平成7)年の阪神・淡路大震災では社務所が全壊するなど大きな被害を受けますが、同年9月には立派に再建されました。
朱塗り鮮やかな稲荷神社と祖霊社。社殿の右手にあります。
毎年4月の第3日曜日には春季大祭、10月の第3土曜日には秋季大祭が行われます。子ども御輿や幼児鼓笛隊などが巡行し、子どもたちの元気な声が商店街を駆け巡るそうです。
商店街の中にある神社です。
アクセス
・阪急電車「春日野道駅」下車、南西へ徒歩5分
・阪神電車「春日野道駅」下車、北西へ徒歩5分
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拝観料
・無料
拝観時間
・常時開放
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