東山泉涌寺
(とうせん せんにゅうじ)
京都市東山区泉涌寺山内町27
神仏霊場京都 洛土の道・第41番札所
真言宗十八本山霊場・第8番札所
洛陽三十三所観音霊場・第20番札所
京都十三仏霊場・第6番札所
通 称
御 寺
(みてら)
慶長年間建立の御所の門を移築したといわれる大門。重要文化財に指定されています。
〔宗派〕
真言宗泉涌寺派 総本山
〔御本尊〕
釈迦如来 ・ 阿弥陀如来 ・ 弥勒菩薩
JR京都駅の10番ホームから奈良線に乗り換えて1駅目の東福寺駅。美しく色づいた紅葉を愛でるために、毎年11月中旬から下旬にかけて「通天橋」で有名な東福寺へと向かう観光客で賑わいを見せています。その東側、東山三十六峰・月輪山の麓に静かに甍を連ねる古刹・泉涌寺も、それに劣らぬ紅葉の名所として知られています。今から1200年ほど昔の天長年間(824年~834年)、弘法大師空海が月輪山の麓に修行のための庵を結びます。この庵が泉涌寺の原型だといわれています。855(斉衝2)年には左大臣・藤原緒嗣卿のバックアップを受けた神修上人がこの地に法輪寺を興し、のちに仙遊寺と改称されたといわれています。書物によって創建時期や開祖などに諸説ありますが、それほど古い歴史のある寺院であるともいえます。
徳川4代将軍・家綱公によって1668(寛文8)年に再建された仏殿。
時代は下って鎌倉時代。13年もの長きに渡り宋に学んで1211(建暦元)年に帰朝していた月輪大師・俊芿律師に深く帰依していた武将・宇都宮信房公は、1218(建保6)年に仙遊寺を大師に寄進します。このとき境内の一角から清水溢れる泉が発見されたことから「泉涌寺」と名付けられました。後鳥羽上皇や後高倉院などの助力を受けた月輪大師は、1226(嘉禄2)年に宋風の大伽藍を築き上げ、泉涌寺は律宗を中心に天台宗・真言宗・禅宗・浄土宗の四宗兼学(律宗も入れて五宗兼学ともいわれます)の修業道場として栄えることになります。
仏殿の奥にある舎利殿(左)と、「泉涌寺」の由来となった泉の上に建つ水屋形(右)。
泉涌寺は皇室から厚い帰依を受け、後堀河天皇が山内の観音寺陵に葬られたのに続いて1242(仁治3)年に四条天皇の大葬の礼がここで行われて寺内に御陵が築かれるなど、代々の天皇の御陵が営まれるようになったことから、皇室の「御香華院(=菩提寺)」として尊崇を受けることとなり、敬意をもって「御寺(みてら)」と呼ばれるようになりました。現在でも孝明・明治・大正・昭和天皇や皇族の方の法要が行われ、皇室からも「空腹凌料」と呼ばれる御下賜金を賜るなど、深いつながりを保っています。残念ながら、創建時の伽藍は応仁の乱の際にほとんど焼失しましたが、江戸時代に入り4代将軍・徳川家綱公によって再建されます。そのとき建てられた仏殿は国の重要文化財に指定されています。
本坊の御座所庭園の紅葉は一見の価値あり。
境内の奥にある本坊には御座所があります。ここは、1884(明治17)年に明治天皇が使用されていた御里御殿を旧京都御所から移築したもので、玉座の間・勅使の間・門跡の間などがあり、現在も皇室の方が来寺の際には休憩所とされています。この御座所から眺める庭園には様々な色の紅葉が息づいており、晩秋の庭園を絶妙な色合いで飾り立ててくれています。泉涌寺の紅葉は11月末の今の時期が見頃です。観光客も多過ぎず少な過ぎず、ゆったりと秋の紅葉を堪能したいという方にはおススメのスポットです。特に、夕方の少し翳ってきた陽光の中での紅葉は何ともいえない風合いで、一見の価値ありです。
御座所庭園の紅葉。右の石灯籠は「泉涌寺式雪見灯籠」と呼ばれるものです。
本坊の奥にある月輪陵。江戸期の皇族が眠っています。
アクセス
・JR奈良線「東福寺駅」下車、泉涌寺道を東へ徒歩15分
・京都市バス208系統「泉涌寺道」バス停下車、泉涌寺道を東へ徒歩12分
御寺・泉涌寺地図 Copyright:(C) 2011 NTT Resonant Inc. All Rights Reserved.
【境内図】
拝観料
・大人:500円、中学生以下:300円 ※本坊庭園は別途300円。
拝観時間
・9時~16時30分 (12月から2月は9時~16時)
公式サイト