神戸の空の下で。~街角の歴史発見~

足かけ8年、150万PV突破。「近畿の史跡めぐり」のサブタイトルも、範囲が広がったために少し変更しました。

京都・天授庵(南禅寺塔頭)。

2008年12月13日 | ◇京都府 -洛東


南禅寺 天授庵

(てんじゅあん)
京都市左京区南禅寺福地町86‐8

南禅寺塔頭



「天下之上」に列せられた禅刹・南禅寺の中門をくぐった先に建つ天授庵。


〔宗派〕
臨済宗 南禅寺派




 「絶景かな、絶景かな」という歌舞伎の名台詞で有名な南禅寺の三門。その三門の上に登って周囲を見渡すと、南西にひときわ美しい紅葉に囲まれた庭園があることに気付きます。この庭園を持つのが、南禅寺第一の塔頭である天授庵です。



 
書院(左)はライトアップ時のみ中に入れます。南からの風景も味わい深いものがあります(右)。



 南禅寺は、亀山法皇によって1291(正応4)年に開かれた我が国初の勅願禅寺で、「大明国師無関普門が開山となって創建されました。しかし、無関普門は高齢のため創建直後に入寂され、実質的な伽藍の整備は第2代住職の規菴祖円禅師の手によって行われました。このため、しばらくの間開山である無関普門の功績は顧みられることはありませんでした。こういった状況を憂えた南禅寺第15代住職・虎関師錬は、無関普門の功績を讃えるための開山塔の建立を朝廷に上奏し、1339(暦応2)年に光厳上皇より塔を「霊光」と名付け庵を「天授」と名付けるという勅許を賜り、翌年に見事に菩提を弔う開山塔が完成しました。これが天授庵の始まりです。



 
順路に沿って歩くと最初に広がる北庭(左)。夜には竹が美しく照らされます(右)。



 天授庵は、南禅寺同様1393(明徳4)年と1447(文安4)年の火災で焼失し、さらに1467(応仁元)年の応仁の乱による兵火によって焼かれて以来衰退していましたが、1602(慶長7)年に入って当時南禅寺の第266世住持を務めていた玄圃霊三和尚が中心となり、弟子であった雲岳霊圭和尚を天授庵の主に据えて再興計画を推進しました。

 足利将軍家に仕え、織田信長公や豊臣秀吉公、徳川家康公からも重用されていた戦国武将であると同時に、藤原定家卿の流れを汲む二条流の歌人・三條西実枝卿から古今伝授を受けるなど、当代一流の文化人でもあった細川幽斎(細川藤孝)公の義理の甥であった雲岳霊圭和尚は、天授庵復興のバックアップを細川幽斎公に依頼。その快諾を受けて再興工事が始められ、本堂や正門、書院などの整備が進められて威容が整い、細川家もここを菩提所として支援を続けました。方丈は長谷川等伯の襖絵で飾られています。



 
方丈の前庭は「淵黙庭」と呼ばれる枯山水庭園。昼の姿(左)と夜の姿(右)。



 天授庵には2種類の見事な庭園があります。東側に広がる方丈の前庭は「淵黙庭」と呼ばれ、白砂と緑苔のコントラストが鮮やかで、菱形の飛石や美しいサツキ・楓の植栽に囲まれた枯山水庭園です。もう一つは、南側の書院前に広がる庭園で、杉や楓など様々な彩りを見せる植栽に囲まれた地割に鎌倉時代から南北朝時代の特色が見られる池泉回遊式の名園ですが、明治時代に蓬莱島が設けられて風合いが変えられています。



 
方丈横の木戸(左)。心字池の蓬莱島に組まれた見事な石組み(右)。

 
書院の南に広がる池泉回遊式庭園。昼の姿(左)と紅葉美しい夜の姿(右)。



アクセス
・京都市営地下鉄東西線「蹴上駅」下車、北へ徒歩10分
天授庵地図 Copyright (C) 2000-2008 ZENRIN DataCom CO.,LTD. All Rights Reserved.

拝観料
・400円 (ライトアップは別料金、400円)

拝観時間
・9時~17時 (12月~2月は9時~16時30分)  ※毎年11月中旬から下旬にライトアップ (17時30分~21時)









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