船寺神社
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(ふなでらじんじゃ)
神戸市灘区船寺通2-1-25
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阪神電鉄の高架の南、東向きに立つ鳥居。1973(昭和48)年に再建されました。
〔御祭神〕
八幡大神
(はちまんたいしん)
天照大御神
(あまてらすおおみかみ)
春日大神
(かすがたいしん)
「有馬郡誌」によると、船寺神社はもともとは摂津国有馬郡の羽束郷にある大舟山の山上に創建された「船寺」という名の寺院の鎮守社として創祀された「八幡神社」にそのルーツがあるといわれ、のちに莵原郡の大石川の西に遷されたと伝えられています。「船寺」という地名はそれに因んで付けられたもので、1469(文明元)年に編纂された「都賀荘寺庵帳」という文献にはこの地に舟寺という名前の寺院があった事が記されています。ただ、船寺神社のある辺りは古来より「深淵」と呼ばれており、江戸時代中期の寛政年間(1789~1801年)頃に「船寺谷」と改称されています。
この船寺は、1868(明治元)年に出された神仏分離令の影響で1875(明治8)年に廃寺になり、鎮守社であり河原村の氏神として崇敬を集めていた八幡神社が「船寺神社」として独立存続したと伝えられています。11月に行われる例大祭では、金獅子6頭をおしたてて100名を越える奉仕者が氏子地域を練り歩くことでも有名な神社です。
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鳥居の脇にある「厄除東向八幡宮」の石碑(左)。境内にも多くの石碑が建てられています(右)。
船寺神社は神功皇后ゆかりの神社としても知られています。三韓征伐から都への凱旋の航海を続けていた神功皇后率いる船団は、灘の敏馬の浦にさしかかった際に暴風雨に襲われ、風雨を避けるために深淵と呼ばれたこの辺りに停泊して難を逃れたといわれています。
前述した創祀に関する伝説には他にもいくつかの説があります。地形的に海上交通や陸上交通の要衝だった船寺地域ではありましたが、南北を貫いて流れる都賀川の河原部分にあたるために、長雨が続くたびに起こる水害に悩まされていました。そのため、神威によって難を避けようと888(仁和4)年に京都の石清水八幡宮から八幡大神を勧請し、都賀川が流れる東の方角に向けて社殿を建てて諸難除けを祈願したのが船寺神社の始まりだという説もあります。
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1966(昭和41)年に再建された、鉄筋コンクリート造りの社殿。
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社殿右手には、御神木を祀った岩楠社(左)と船吉稲荷大明神(右)が鎮座しています
さらには「八幡太郎」の異名で知られ、武士勢力台頭の黎明期の象徴として名高い源義家公にまつわる説も残されています。1082(永保2)年、灘の沖を航行していた源義家公は、海中で光を放つ不思議な物体を発見します。不審に思った源義家公が発光体を追ううちに、導かれるかのように船は深淵の岸へと辿り着きました。そこで深淵の地が神功皇后ゆかりの地である事を知った源義家公は、これこそ天の導きであったかといたく感激し、さっそく都賀庄の公文に命じて天照大御神を祀る社を建てさせたのが船寺神社の始まりだといいます。いくつかご紹介したように、船寺神社の起源については諸説ありますが、実際にはこの時に初めて社殿が建てられ、八幡大神と天照大御神を祀ったのではないかという説が一番有力なようです。
1362(正平17)年には都賀野行家公によって奈良・春日大社より春日大神が勧請され、1668(寛文8)年には江戸幕府第4代将軍・徳川家綱公の寄進を受けて拝殿などの増改築が行われました。この社殿は、残念ながら1945(昭和20)年の神戸大空襲によって全焼し、長らく仮殿での祭祀が続けられてきましたが、焼失から20年経った1966(昭和41)年になって鉄筋コンクリート造りの社殿が再建されました。
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以前は屋根に大きな看板が掲げられていた神社会館(左)。右は国道2号線沿いに立つ石碑。
アクセス
・阪神電車「大石駅」下車、南西へ徒歩1分
船寺神社地図 Copyright:(C) 2011 NTT Resonant Inc. All Rights Reserved.
拝観料
・無料
拝観時間
・常時開放
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