神戸の空の下で。~街角の歴史発見~

足かけ8年、150万PV突破。「近畿の史跡めぐり」のサブタイトルも、範囲が広がったために少し変更しました。

神戸・八多神社。

2006年07月21日 | ■神戸市北区


八多神社

(はたじんじゃ)
神戸市北区八多町下小名田284



道沿いに立つ鳥居。奥には保育園もあり、境内の池にはアヒルが飼われています。


〔御祭神〕
天照大御神
(あまてらすおおみかみ)
稲荷大神
(いなりたいしん)
ほか13神



 八多町は、古くは「幡多」と記されていた歴史のある町です。秦氏の統べる土地だったという説や、摂津エリアの端(はた)の地だったからという説、機織に関係があるのでは、などと諸説ありますが、その名の由来ははっきりしません。

 三方を山に囲まれ、町域を流れる八多川沿いに平野が広がる農村地帯である八多町は、灘五郷の酒米などコメつくりを中心に発展してきた町です。近年は酪農や養鶏、花の栽培やトマト・ほうれん草・イチゴなどの野菜や果物を栽培するなど、多岐にわたる農業を展開しています。そんな八多町に鎮座する八多神社は、創建時期こそ明確ではありませんが、物部守屋公が創建したという伝説の残る古社で、村の鎮守としての風格に満ちています。



うっそうと茂る鎮守の杜。



 用命天皇の頃、六甲山の峰から遥か西北の地に杉檜の森がうっそうと茂るのを見た物部守屋公は、神霊の宿る聖なる森に違いないと確信を抱いて訪ねたところ、一人の木こりと出会います。木こりは物部守屋公に、この森には古くから天照大御神が鎮座されていること、神功皇后新羅遠征の際には神宮皇后とともに親征されたこと、その教えに従った神功皇后がこの地に天照大御神をお祀りになったこと、などを告げたそうです。この話を聞いた物部守屋公は、神託に従って社殿を建立し荘田を献上したといわれています。




この石段の奥に拝殿があります。



 八多神社は、朝廷より大社に準じる扱いを受けていたそうで、天皇の即位や大嘗祭、吉祥瑞兆や災害などの起こった時には朝廷より使いが使わされるなど、中央との繋がりの強い神社だったようです。




風格ある拝殿。平成9年10月には神戸市有形文化財に指定されました。



 そういうわけで、八多神社には中央との繋がりとその神威・ご利益にまつわるエピソードが多数残されています。941(天慶4)年に起きた天慶の乱では、征西大将軍に命ぜられた参議・忠文卿がこの地を訪れ、八多神社で戦勝祈願をして見事結願、霊矢で強敵を倒したといいます。10世紀末の永延年間には、八多神社を厚く信仰していた刀鍛冶の三條古鍛冶宗近が、夢で見た神のお告げどおりに刀を打ったところ、素晴らしい刀が出来たのでその宝剣を奉納して神恩に報いたという話が残されています。

 1281(弘安4)年の蒙古・フビライによる弘安の役では、朝廷より調伏祈願の命が下り、結願の日には嵐が巻き起こって船団を散らし、その勢いで撃退したといいます。もっとも、このときには全国の様々な寺社に同様の命が下っていたので、このような伝説が残されているところは多いでしょうね。源頼光公が大江山の賊追討の際に、源義経公が一の谷の合戦の前にここに詣でたというエピソードも残されています。




拝殿脇の摂社。猿田彦神社、稲荷神社、皇稜遥拝所があります。



 八多神社は、延喜年間(902-922年)に神託を受けて稲荷大神を合わせ祀り、さらに13社を合祀します。それ以降、惣社とも十五社とも呼ばれていたそうです。最近では、明治42年の5月にも近隣の9つの神社を合祀しています。これは、小さな神社は大きな神社に整理統合することを奨励した明治政府の意向によるものだったと考えられます。



アクセス
・神戸電鉄「道場南口駅」から徒歩20分
 八多神社地図 Copyright (C) 2000-2006 ZENRIN DataCom CO.,LTD. All Rights

拝観料
・無料

拝観時間
・常時開放

神戸の神社
兵庫県神社庁神戸市支部
神戸新聞出版センター

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (のりちゃん)
2006-07-22 08:23:10
待ってました



それにしても、神戸市にこんなに興味深い神社があるとは知りませんでした。



兵庫近辺は神功皇后の伝承が多いですが、そこに物部守屋公が絡んでくるというのがとても面白いです。



神功皇后といえば、武内宿禰。

武内宿禰といえば蘇我氏という頭があるもんですから。



ここも一度是非参拝したいと思います。



神戸は、近くて遠い(車で行くと混むし)場所なので、宿題が溜まる一方です(^^ゞ
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お待たせしました(笑) (きみー)
2006-07-22 09:23:38
お待たせしました ひさびさ更新です。

いろいろ神戸の史跡を紹介してきましたが、物部守屋の名を由緒の記述に見たのはここが初めてだったと思います。



創建者に物部守屋の名を謳い、中央とのつながりを殊更に強調したご由緒。実際にこの神社に関わった人々がどんな集団だったのか、興味はつきません





松原天神の小林宮司から暑中見舞いのおハガキを頂きました(^^)

24日・25日の天神まつりは松原天神に行けたらいいなと思ってます。マメにこういうお便りをいただくと嬉しくなりますね
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