有間神社
(ありまじんじゃ)
神戸市北区有野町有野4435
摂津国有馬郡・一の宮
有馬街道沿いに建つ鳥居。五社と岡場の中間に位置します。
〔御祭神〕
天御中主大神
(あめのみなかぬしのおおかみ)
大己貴大神
(おおなむじのおおかみ)
少彦名大神
(すくなびこなのおおかみ)
事代主大神
(ことしろぬしのおおかみ)
「有馬」の地名の由来にはいくつかの説があります。古代の日本語で「アリ」は山、「マ」は土地を表す言葉で、「アリマ」は「山の土地」という意味だという説。「アリマ」は「荒間」に通じ、「荒れた土地」という意味だった、など諸説ありますが、いずれにしても山合いにあって開発の難しかった地域だったというイメージが湧いてきます。そのような土地に治癒力の高い温泉が湧き出たために、有馬はその効能を求めて天皇が行幸されるまでに有名な湯治場へと徐々に整備され、成長してきました。631年に舒明天皇が、そして638年と647(大化3)年に孝徳天皇が有馬温泉に長期間行幸された際、ともに立ち寄った場所があります。それが有間神社です。当時は今の有馬街道沿いの位置ではなく、少し東方の西宮市山口町名来の場所にあったといわれています。
社殿前に建つ黒木の鳥居(左)。拝殿前の大岡越前守ゆかりの「有馬社」石標(右)。
有間神社は、905(延喜5)年に醍醐天皇の勅願によって編纂が始められた「延喜式」の神名帳にその名を連ねる由緒ある古社で、摂津国有馬郡の一の宮として人々に厚く崇敬されてきました。前述したように7世紀の前期にはすでに祭祀が行われていたと思われますが、霊亀年間(715~716年)に続いた長雨によって有間川が氾濫を起こし、有間神社は社殿ともども流失してしまいました。そのため再建するにあたって神託を仰ぎ、現在の場所へと遷座されてきました。
1796(寛政8)年に再建された社殿。
当初は有馬温泉の守護神である大己貴命と少彦名命などが祀られていたと思われますが、969(安和元)年には天御中主神が合祀されています。そんな有間神社も戦国時代の際には、当時の宮司だった武田光綱公が別所長治公の娘と結婚していたために織田信長軍の播磨方面司令官だった羽柴秀吉公の攻撃を受け、境内は炎上してしまいました。その後社殿は再建されましたが、江戸時代に入っても1622(元和8)年と1789(寛政元)年に火災で焼失するなど受難が続きます。1796(寛政8)年の再建ののちようやく平和な時代が訪れ、そのとき再建された社殿が現在まで残されています。
豊かな緑に恵まれた社叢は、神戸市より天然記念物に指定されました。
社殿の手前には「有馬社」の石標が立っています。この石標は江戸幕府の第9代将軍・徳川家重公の時代に建てられたもので、当時寺社奉行を務めていた大岡越前守忠相公の許可を得て奉納されたものです。1849(嘉永2)年には、孝明天皇が即位された際に行われた大嘗会で用いられた黒木の鳥居が下賜されて社殿の前に建てられるなど、古代より近世まで中央との繋がりの強い神社でありました。
明治維新前まで建っていた別当寺・山王山神宮寺の名残を残す神宮寺跡石碑。
アクセス
神戸電鉄「岡場駅」下車、南へ徒歩10分
神戸電鉄「五社駅」下車、北へ徒歩10分
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(無料駐車場あり)
拝観料
無料
拝観時間
常時開放
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