寂静山伝法院極楽寺
(じゃくせいざん でんぽういん ごくらくじ)
神戸市北区有馬町1642
聖徳太子ゆかりの寺院
聖徳太子が創建したと伝えられる極楽寺の本堂。1400年の歴史を持つ古刹です。
〔宗派〕
浄土宗
〔御本尊〕
阿弥陀如来坐像
伝承では推古天皇2(593)年、聖徳太子によって創建されたといわれています。ちょうどこの頃は、前年に蘇我馬子が崇峻天皇を暗殺し、初の女帝である推古天皇を擁立した時期で、その皇太子となった聖徳太子が4月に摂政となって蘇我馬子とともに推古天皇を補佐して国政を執り始めた年でした。さらには排仏派の物部守屋の打倒を果たした報恩のために四天王寺の造立を開始するなど各地で聖徳太子の建立といわれる寺院が創建されていた時期であることから、その一連の流れの中で開かれたか聖徳太子の高名にあやかろうとして「聖徳太子創建の寺」という伝説が生まれたのかもしれません。
境内の一角に建てられた「お願い地蔵」(左)と、本堂脇に祀られている地蔵像(右)。
極楽寺は、創建当初は有馬川を跨ぐように架かっていた杖棄橋の東の石倉の地にありましたが、1097(承徳元)年の秋に起こった洪水のために大きな被害を受け、有馬温泉ともども荒廃してしまいます。それから100年近く経った1191(建久2)年に大和国の吉野・高原寺から有馬に移り温泉の復興に尽力した「有馬三恩人」の1人・仁西上人と共にやって来た河上民部経清公が現在の場所に堂宇を建て、源空法然上人を招いて古刹を復興し、「密曾寺山極楽寺」と名付けました。その後、後柏原天皇の治世の16世紀初頭、願譽順公上人のときに院号を伝法院と名付け、山号を寂静山と改めました。1774(安永3)年には大火によって焼失してしまいますが、1782(天明2)年4月には無事再建されました。現在の堂宇はこの時のものだといわれています。
1995(平成7)年には阪神・淡路大震災で庫裏が損壊するなどの被害を受けますが、この修復工事の時に安土桃山時代の遺跡が発掘されて瓦や茶器などが出土しました。この遺構は、豊臣秀吉公が建てたといわれる「湯山御殿」の浴室や庭園の跡であると確認されたことから1997(平成9)年には神戸市文化財史跡の指定を受け、2年後の1999(平成11)年には遺構の上に「神戸市立太閤の湯殿館」が建設されました。「太閤の湯殿館」には豊臣秀吉公が湯浴みを愉しんだといわれる蒸し風呂や岩風呂の遺構が展示され、数々の出土品や資料が展示され、戦乱の世に終止符を打った豊臣秀吉公の往時の栄華を偲ぶことができます。
境内に彩を添える花(左)と、豊臣秀吉公の湯殿跡に建てられた「太閤の湯殿館」(右)。
アクセス
・神戸電鉄有馬線「有馬温泉駅」下車、南東へ徒歩10分。
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拝観料
・境内無料 ※太閤の湯殿館へは入館料が必要 (大人:200円、高校生以下:100円)。
拝観時間
・境内は常時開放 ※太閤の湯殿館 :9時~17時 (受付は16時30分まで)
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