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関西うつ自助会。京都、兵庫、家族会

活動報告やうつについてのお話を提供するblog
京都、兵庫で開催しております!

12月大阪自助会

2020年12月06日 | Weblog
大阪担当です。

12月5日、第184回自助会を開催しました。
今回は初参加の方4名を含む9名の方に集まって頂きました。

何をしようとしてもやる気になれない、なぜこうなってしまったのか。
毎日希死念慮が消えることがない、何の為に生きているのか分からない。
生きていることが迷惑、死んでしまいたいけれど死んでしまうことも迷惑になるどうすればいいのか分からない等の話がありました。

2020年最後の大阪開催となりました。
今回はわたしの敬愛する哲学者の言葉をご紹介します。

「人から、死を考える機会を奪うべきではない。私はそう思う。人生の意味と無意味は、人生の意味と無意味を、与えられた有限の時間の中で徹底的に考え抜く、そこにしかないと、私は思っている。そして、有限の極限にこそ、無限は顕現する。現世的生命への執着は、現世的生命が有限である限り、人は不幸でしかあり得ない。」
池田晶子.考える日々 全編.毎日新聞社,2014,257p

うつになった人の多くは死を考えます。周りの人に言うと縁起でもないとか、そんな悲しいことを言うな、考えるなと否定されます。
そうすると、自然に湧き上がってくる希死念慮を通して、死を考える自分を責めざる得なくなります。
これはとても苦しいことだと思います。

でも、本当は死を考えるということは生を考えるということです。
但し、死にたくない、死ぬのが怖いあるいは死んでしまいたいという想いを通して、死とは何か生とは何かを考えるという意味です。
死とは何か、生きていないということです。では生とは何か、死んでいないということです。
これでは何を言っていることにもなっていません。でも本当のところ、生も死も分かっていないということは分かる。ここが考える原点だということ、ここから考えるということです。

人は生きなくてはいけないと言います。でも生きているとはどういうことか分からなければ、生きなくてはいけない、逆にいけないことはない等と言えるはずがないのは道理です。
そして、人生に意味はあるのか、人生があるとはどういうことか。
人生の時間は有限であり、与えられた人生の時間が有限だからこそそれを徹底的に考え抜くことができるのです。有限の時間の中で考え抜いたその極限にこそ、無限が顕現するのです。

わたしにその無限が立ち現れたのは平成24年11月6日の朝でした。
考えるべきは、なぜ生きるかではありません。どう生きるか、すなわちどう死ぬかです。

これから先、わたしは不幸ではあり得ない。その後そう気が付いたのは、上の言葉に出会った時かも知れません。

人が有限の時間の中でなぜ生きるかを考える限り、人は不幸でしかあり得ない。だが、考えない人は、自分が不幸であることすら知り得ない。
わたしはそう思う。

考えることに手遅れはありません。
一緒に考えましょう。

申し込みはwebから申し込みのみ、先着順です。
定員に達した場合、キャンセル待ちでの申し込みとなります。
(参加可能かキャンセル待ちかは返信メールで確認してください)
※問い合わせメールは申込になりません。

その他コロナ対策の詳細は申込ページに記載していますのでご確認の上、申し込みをお願いします。

開催スケジュール
日時:2021年1月9日(土)、13時30分~16時30分
場所:大阪市立西区民センター
最寄駅:千日前線、長堀鶴見緑地線「西長堀駅」
7B出口を出たところから20-30m進むと左手前方にあります。こども園の隣になります。

参加費:500円
お問い合わせ、参加希望は下記リンクをクリック。

自助会への参加・お問い合わせはこちら


案内ページが表示されますので申し込み若しくはお問い合わせボタンをクリックしてください。
連絡先のメールアドレスはパソコン用のアドレスでお願いします。(携帯電話のアドレス(docomo.ne.jp、ezweb.ne.jpなど)はこちらからの返信が届かない場合があるので使用は避けてください)
申込み、問合せ送信後、自動返信メールを確認してください。

※申し込み、問い合わせはイニシャルやニックネームではなくお名前をお書きください。
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