馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

恩人と九段スズキ本店長野夫婦。

2013-11-02 17:54:30 | 日記

11月1日(金)地下鉄丸の内線 中野坂上駅改札を出て

そのままエレベーターに乗り13階フロアに出た。

受付カウンター電話で番号をプッシュする

背後から声がかかる。

後輩が待っていたのだ。

商談室に入る。

 

今年4月に会社が市川橋から移転したのだ。

会うのは3年ぶりだ。

 

32年前、私がサラリーマンをしていた会社だ。

知り合いの殆どは定年で既に会社を去った。

嘱託で残る者も僅かだがいる。

今日会った後輩も定年まで後1年半だ。

 

私が銀座勤務の頃、新入社員として

売り場に配属されたが、外商部門を熱望して

2年後に外商で一緒に仕事をした。

私と同姓で下の名前も一字違いだ。

課内では兄、弟と呼ばれた。

 

私が労組書記長だった時、組合執行部役員でもあった。

私は銀座営業部に在籍していたが、殆ど

仕事はせず、後輩に任せきりだった。

 

彼は薄ガラスのように直ぐにひび割れしそうな

繊細神経で潰瘍が出来たことがあった。

 

私が会社を去る時、周囲はよそよそしかった。

私は妻と3歳と1歳の子供を抱え

マンションのローンも払えなくなり

横浜の実家に戻ることになった。

引越しの朝、彼が突然現れた。

引越しの手伝いに来てくれたのだ。

 

その後、彼は台湾勤務になり家族で赴任した。

当時 私は仕事に行き詰っていた。

彼は苦境の私を救うおうと,台北に招いてくれた。

台湾のメーカーを紹介してくれ、貿易経験のない

私に仲介の役割をした。

お金も立替払いをした上に、僅かな手数料だけを取り

私に利益をもたらしたのだ。

 

その後、台北事務所の閉鎖に伴い

私は商権の一部を継承したのだ。

 

後輩だが、私にはかけがいのない恩人なのだ。

私は波乱に満ちた人生だが、やって来られたのは

後輩の惜しみない援助があったからだ。

 

後輩は現在経営監査室長

現場勤務ではないが、今でも気遣いをしてくれる。

 

7年前 私の処に九段スズキ本店の夜逃げして来た夫婦

私も苦境を救ってくれた後輩の想いがあったので

惜しみない援助をしたが、それが仇となり

逆に騙されてしまった。

 その九段スズキ本店 長野利男、美保子夫婦

私は甘かった。

後輩のように無償のバックアップは

絶望を救うものだと思い込んでいた。

周囲の忠告も聞かず

まさか、嘘と虚飾を入念に装った

詐欺夫婦を見破れなかった。

心に負った深い傷は未だ快復しない。

 

後輩との思い出話は尽きないが16時半ビルを出た。

後輩は下まで送ってくれた。

ビル前に山手通りがある。

渋谷 松涛方面に向かうことにする。

夕暮れ迫る山手通りは暑くも寒くもなく

早足には快適だ。

秋の中空は夕暮れ、カラスが山手通り沿いの車の上を飛び

棲家に帰る鳴き声が仲間を呼んでいる。

17時10分 下に電車が走る音が聞こえる。

見下ろすと駅ホームだ。

小田急代々木八幡駅だ。

なるほど、こんな場所だったのだ。

17時半 松涛の病院前に着く。

弟夫婦が来るのは19時過ぎなので

先に食事する。

最近オープンしたイタリアンカフェに入る。

早い時間なので店内には客はいない。

生ビールとバーニャカウダーを注文。

ドレッシングは少ないので、野菜の半分はそのまま食べた。

2杯目の生ビールとスープパスタも頼む。

スープパスタなのでフォークではスープは飲み干せない。

スプーンはなかった。

 

「ああ!この店はもたない」と心中呟いた。

私の表現力では説明できないのだが

味はは至って普通、際立つ個性はない。

接客も悪くなく常識的対応。

単価も一般的。

清算する時、レジカウンターからお釣りはくれたが

印字レシートはなかった。

直感で脱税だろう?

店を出て店名を見ようとしたが

ライトの強い照り返しで見えない。

 

目線が自分本位で自己満足で

無言のお客様の気持ちを理解していない。

 

渋谷駅に向かうまでの坂道には

白塗りマンション1階におしゃれなカフェレストランが

小さな灯火で若者を蚊のように誘惑する。

個性ある光と芳香に生き物は魅かれる。

美しいだけでは愛されない。

 

18時半 お袋の病室にはいる。

ベッドの柵を手で叩いている。

うつろな目は

私が来たことに気付かない。

 

19時半 弟夫婦が来た。

嫁さんが喉の吸引をする。

自力で痰を吐き出すことができなくなった。

私と弟には反応しないが

義理の娘には分かるらしい。

さすが、大学病院の副院長で看護士600人を束ねる

経験と気丈夫さは凄い。

2年前、深夜横浜の自宅で呼吸困難になった時

救急車に自ら乗り車内で手当てをしながら

渋谷の大学病院へ運んだ。

蘇らせたのだ。

柵を叩くのは、看護士さんを呼んでいるのだ。

20時病院を出て道玄坂を下る。

 

東急109の前まで来ると毎度のことながら

気が滅入るのだ。

  

突然 幼い頃の記憶が蘇る。

保育園の滑り台のテッペンから落ちて

左足を怪我した。

 

小さなお袋は私を負ぶって骨接ぎやに連れて行った。

時折、私を降ろして荒い息をしていた記憶を

思い出した。

ネオンの瞬きの街中で60半ばのオジサンが

涙目になったのだ。

 

今でも、左足は少し曲がっている。

 

15年程前 小学校のクラス会があった。

仲の良かった一人が言った。

「俺が滑り台から落とした」

私には記憶になかったが彼は自分がした

いたずらで他人を傷つけたことを記憶の奥底に閉まっていたのだ。

悪童だったが、私とは仲が良かった。

今では、研磨剤の会社の経営者だ。

 

22時自宅着

  

本日の歩数計

24107歩

17357m

3時間22分

1395カロリー

異常でした。