イメージフォーラム・フェスティバル2009のプログラム、「妄想の饗宴:英・伊・豪アニメーション傑作選」を観てきました。
映画の感想の前に、まず会場の感想を。
新宿のパークタワーというところで開催されたのですが、ここがすごいんです。巨大なビルディングで、壮麗。一体どういう建物なのか知りませんが、こんな立派なビルがあったとは知りませんでした。何十階もあって、それぞれの階に行くための専用のエレベータがあるんです。宮殿みたい。あるいは一つの街がすっぽり中に入っているというか。しかし、肝心の鑑賞場所は映画館ではなく、大きなスクリーンのあるホールに簡易椅子を並べただけのものでした。新国立美術館のホールに似ていますね。座り心地は我慢しますが、階段状の造りではないので、前の人の頭が邪魔なんですよね。このプログラムにはそんなに人が来ないと思っていたのに、けっこう入場者がいたので少し狭苦しかったです。アート系アニメーションのファンってこんなにいたんだ…
さて、作品の感想。
ジェーン・チードル「クォーター」
壁に水をぶっかけて、その形状をアニメートしたらしいのですが(土居さんという研究者の方のブログで知りました)、その模様が怪物のように見えたり見えなかったりで、なんだかよく分からない作品でした。蝶や鳥のように見えたりもしましたが、鮮明な映像ではないのではっきりと確信をもてないんですよね。ところで上映中はアブラゼミみたいなけたたましい鳴き声が聞こえていて(途中で静まったりもしますが)、かなりうるさかったです。ボリューム上げすぎなんじゃないの、と思ったりもしましたが、どうやらあれが標準の設定のようです。アニメーションを観ていると、ときどき不快な音が聞こえてきたりしますが、今回のもそれに似ています。
エミリ・リチャードソン「コブラ・ミスト」
これってアニメーションなんですか?風景の早回しにしか見えませんでした。それともピクシレーションだったっけな?荒野や廃墟の様子をカメラをぐるぐる回しながら映した作品。ぼくには「?」でした。
バーナビー・バーフォード「きずもの」
陶磁器の人形アニメ。最初の2作品がいまいちで不安だったのですが、ようやくアニメらしいアニメが登場して一安心。青年が令嬢(?)に恋をする話。二人は恋をしますが、恋敵(ひょっとして夫?)から逃れる際に彼女は床に落下して、木端微塵に砕け散ります。ところが他の人形たちに修理されて、「きずもの」となって青年のもとに帰ってきます。それでハッピーエンド。う~む、「きずもの」となったことで、青年が以前の美しさを失ってしまった彼女に対する思いを変えてしまうとか、ストーリーにもう一山ほしかったです。「きずもの」でも愛する青年の愛は本物だ、それこそ美しいのだ、とか言う人はいるでしょうけど、ぜんっぜん伝わらないですね、そういうことは。もうひとひねりほしい作品です。
ステファン・アーウィン「ブラック・ドッグス・プログレス」
本プログラム中、一番気に入ったアニメーション。初めは画面の中央辺りに小さく絵が映されて、その隣にまたその延長となる絵が映され、それからまた…と次々に小さなノートみたいな紙に描かれた絵が映し出され、いつしか画面全体に断片からなる大きな一場面が形成されます。各々のノートの絵はもぞもぞと動いて一定のパターンを繰り返し、その隣の絵へと進行を譲ります。(こんな説明でこの作品を観ていない人は理解できるのか?)ノートはパラパラマンガみたいにぴらぴらと捲れて、アニメーションの原点を思い出させてくれます。画面にぼんやりと明るい楕円が投影され、その動きに目を合わせてゆくと、黒い犬(ブラック・ドッグ)の生活の様子が次第に分かってきます。こういう、画面全体で一つのアニメーションを成しているというのは、数年前にメディア芸術祭で大賞を取った「浮楼」と似ていますね。あれもカットやクローズアップは決してせず、一つの画面の中で展開される人生の周期を描いた作品ですが、本作も基本は同じです。最後はインクの染みが滲んだように黒ずんできて、ノートがぱらぱらとはためき、迫力がありました。
セバスチャン・バークナー「ブラーベルト」
一見すると単なる抽象アニメーションかな、と思いましたが、様々に変容する形が色々な具象を想起させ、なかなかに興味深い。ちょっとエロティシズムを見出してしまったのですが、あれは何の形だったんだ?
クリストフ・ステガー「ジェフリーと恐竜」
脳に障害のある男性が恐竜の絵と物語を書いている、というその様子をドキュメンタリーで。アニメーション作品ではないですが、ときどきジェフリーの描いた恐竜を動かします。え、これで終わり?って感じで、内容的にはおもしろいのですが、なんとなく物足りなかったです。
タル・ロスナー「ウィズアウト・ユー」
街の中にあるストライプを拡大して抽象的な図形を作ってしまったアニメーション。縦じま横じま斜めじま、縞ならなんでもござれです。つまらなくはないけれど、特別おもしろくもありませんでした。
BLU「MUTO」
2008年の話題作。今日初めて観ましたが、一言でいえば、「キモイ」。ブエノスアイレスの壁面を舞台にアニメーションを展開。街の猥雑さとアニメーションのグロテスクさがうまくマッチしているように思いました。手だらけの生物が歩き回ったり、人間の体から次々と人間が這い出てきたり、おおきく描かれた顔がゴキブリのような虫で覆われたり、そんなのが続きます。気持ち悪い作品ですが、それなりに笑えて、個人的には本プログラム中二番目に気に入りました。
デニス・トゥピコフ「チェンソー」
一番気になったのは、題名は「チェンソー」なのに、字幕は「チェーンソー」となっていたこと。なぜ?それはひとまず措くとして、この話はフランク・シナトラ夫妻のことを知っていないとよく分からない作品なんじゃないかと思いました。ぼくは今日観るのが二度目で、字幕付きでは最初だったのですが、ようやく内容が飲み込めました。初見のときは、中盤がさっぱり分からなかったので。フランク・シナトラの妻エヴァが闘牛士の男と恋に落ちる、という事実を知らないと、この映画の基本構造そのものが理解できないと思います。もちろん映画でもそのことには触れられていますが、字幕がないとさっぱりですからね。色々な象徴やほのめかしが随所に盛り込まれた作品で、味わい深いと言えますが、どうもぼくにはちょっと…ぼくの手ではこんなにも巨大な意味という海の水を掬い切れないです。ユーモラスな雰囲気で始まるこのアニメーションは悲劇となって終わりますが、笑いのセンスはありますね。ところで、いくらなんでも家がチェーンソーで切り刻まれていくのを無視するってすごい神経だよね。何しててもさ。
会場に、「久里先生が…」と友達らしき人と会話している女性がいましたが、彼を「先生」と呼ぶってことは、もしやラピュタのアニメーション学校の生徒?勉強熱心ですね。
映画の感想の前に、まず会場の感想を。
新宿のパークタワーというところで開催されたのですが、ここがすごいんです。巨大なビルディングで、壮麗。一体どういう建物なのか知りませんが、こんな立派なビルがあったとは知りませんでした。何十階もあって、それぞれの階に行くための専用のエレベータがあるんです。宮殿みたい。あるいは一つの街がすっぽり中に入っているというか。しかし、肝心の鑑賞場所は映画館ではなく、大きなスクリーンのあるホールに簡易椅子を並べただけのものでした。新国立美術館のホールに似ていますね。座り心地は我慢しますが、階段状の造りではないので、前の人の頭が邪魔なんですよね。このプログラムにはそんなに人が来ないと思っていたのに、けっこう入場者がいたので少し狭苦しかったです。アート系アニメーションのファンってこんなにいたんだ…
さて、作品の感想。
ジェーン・チードル「クォーター」
壁に水をぶっかけて、その形状をアニメートしたらしいのですが(土居さんという研究者の方のブログで知りました)、その模様が怪物のように見えたり見えなかったりで、なんだかよく分からない作品でした。蝶や鳥のように見えたりもしましたが、鮮明な映像ではないのではっきりと確信をもてないんですよね。ところで上映中はアブラゼミみたいなけたたましい鳴き声が聞こえていて(途中で静まったりもしますが)、かなりうるさかったです。ボリューム上げすぎなんじゃないの、と思ったりもしましたが、どうやらあれが標準の設定のようです。アニメーションを観ていると、ときどき不快な音が聞こえてきたりしますが、今回のもそれに似ています。
エミリ・リチャードソン「コブラ・ミスト」
これってアニメーションなんですか?風景の早回しにしか見えませんでした。それともピクシレーションだったっけな?荒野や廃墟の様子をカメラをぐるぐる回しながら映した作品。ぼくには「?」でした。
バーナビー・バーフォード「きずもの」
陶磁器の人形アニメ。最初の2作品がいまいちで不安だったのですが、ようやくアニメらしいアニメが登場して一安心。青年が令嬢(?)に恋をする話。二人は恋をしますが、恋敵(ひょっとして夫?)から逃れる際に彼女は床に落下して、木端微塵に砕け散ります。ところが他の人形たちに修理されて、「きずもの」となって青年のもとに帰ってきます。それでハッピーエンド。う~む、「きずもの」となったことで、青年が以前の美しさを失ってしまった彼女に対する思いを変えてしまうとか、ストーリーにもう一山ほしかったです。「きずもの」でも愛する青年の愛は本物だ、それこそ美しいのだ、とか言う人はいるでしょうけど、ぜんっぜん伝わらないですね、そういうことは。もうひとひねりほしい作品です。
ステファン・アーウィン「ブラック・ドッグス・プログレス」
本プログラム中、一番気に入ったアニメーション。初めは画面の中央辺りに小さく絵が映されて、その隣にまたその延長となる絵が映され、それからまた…と次々に小さなノートみたいな紙に描かれた絵が映し出され、いつしか画面全体に断片からなる大きな一場面が形成されます。各々のノートの絵はもぞもぞと動いて一定のパターンを繰り返し、その隣の絵へと進行を譲ります。(こんな説明でこの作品を観ていない人は理解できるのか?)ノートはパラパラマンガみたいにぴらぴらと捲れて、アニメーションの原点を思い出させてくれます。画面にぼんやりと明るい楕円が投影され、その動きに目を合わせてゆくと、黒い犬(ブラック・ドッグ)の生活の様子が次第に分かってきます。こういう、画面全体で一つのアニメーションを成しているというのは、数年前にメディア芸術祭で大賞を取った「浮楼」と似ていますね。あれもカットやクローズアップは決してせず、一つの画面の中で展開される人生の周期を描いた作品ですが、本作も基本は同じです。最後はインクの染みが滲んだように黒ずんできて、ノートがぱらぱらとはためき、迫力がありました。
セバスチャン・バークナー「ブラーベルト」
一見すると単なる抽象アニメーションかな、と思いましたが、様々に変容する形が色々な具象を想起させ、なかなかに興味深い。ちょっとエロティシズムを見出してしまったのですが、あれは何の形だったんだ?
クリストフ・ステガー「ジェフリーと恐竜」
脳に障害のある男性が恐竜の絵と物語を書いている、というその様子をドキュメンタリーで。アニメーション作品ではないですが、ときどきジェフリーの描いた恐竜を動かします。え、これで終わり?って感じで、内容的にはおもしろいのですが、なんとなく物足りなかったです。
タル・ロスナー「ウィズアウト・ユー」
街の中にあるストライプを拡大して抽象的な図形を作ってしまったアニメーション。縦じま横じま斜めじま、縞ならなんでもござれです。つまらなくはないけれど、特別おもしろくもありませんでした。
BLU「MUTO」
2008年の話題作。今日初めて観ましたが、一言でいえば、「キモイ」。ブエノスアイレスの壁面を舞台にアニメーションを展開。街の猥雑さとアニメーションのグロテスクさがうまくマッチしているように思いました。手だらけの生物が歩き回ったり、人間の体から次々と人間が這い出てきたり、おおきく描かれた顔がゴキブリのような虫で覆われたり、そんなのが続きます。気持ち悪い作品ですが、それなりに笑えて、個人的には本プログラム中二番目に気に入りました。
デニス・トゥピコフ「チェンソー」
一番気になったのは、題名は「チェンソー」なのに、字幕は「チェーンソー」となっていたこと。なぜ?それはひとまず措くとして、この話はフランク・シナトラ夫妻のことを知っていないとよく分からない作品なんじゃないかと思いました。ぼくは今日観るのが二度目で、字幕付きでは最初だったのですが、ようやく内容が飲み込めました。初見のときは、中盤がさっぱり分からなかったので。フランク・シナトラの妻エヴァが闘牛士の男と恋に落ちる、という事実を知らないと、この映画の基本構造そのものが理解できないと思います。もちろん映画でもそのことには触れられていますが、字幕がないとさっぱりですからね。色々な象徴やほのめかしが随所に盛り込まれた作品で、味わい深いと言えますが、どうもぼくにはちょっと…ぼくの手ではこんなにも巨大な意味という海の水を掬い切れないです。ユーモラスな雰囲気で始まるこのアニメーションは悲劇となって終わりますが、笑いのセンスはありますね。ところで、いくらなんでも家がチェーンソーで切り刻まれていくのを無視するってすごい神経だよね。何しててもさ。
会場に、「久里先生が…」と友達らしき人と会話している女性がいましたが、彼を「先生」と呼ぶってことは、もしやラピュタのアニメーション学校の生徒?勉強熱心ですね。