Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

登校

2014-02-14 00:00:01 | Weblog
明日は昼間から大学で用事があるのですが、ついでに気になる雑誌も読みたいので、午前中に行かなけりゃ。まず図書館行って、それから用事。

いつ終わるのか分かりませんが、明日は雪だって言うじゃありませんか。帰りが遅くなればなるほど雪に難儀する可能性が高まりますね。まあいいんだけど。

ともかくそういうわけなので、今日は早く寝ないとな。

ああなんか諸々めんどいなあ。気持ちの浮き沈みが激しいなあ。
さっき、「今付き合っている人たちの方が百倍価値があった」という一文を目にした。ぐっとくる。ぐっとこない人はいないんじゃないかって思うくらい、ぐっとくる。言葉というのは、文学というのは、人というのは、権威から顕彰されたものがすばらしいのではない。権威ができるのは、新たな権威と落ちこぼれを作ることだけだ。たとえ落ちこぼれが権威にまで這い上がったとしても、この権威システムの維持と強化に加担しているに過ぎない。のし上がるということは、他者を排除することだ。新たな「落ちこぼれた自分」を生み出すことだ。自分だけが這い上がろうとする限り、その人は他者を排除し続ける。辛かった頃の自分の気持ちを他者に味わわせることになる。悔しさは力になる、努力は皆に平等、そういった文言は、自分自身を正当化するための欺瞞に思えてしまう。

ぼくは負けた。だから勝ちたいと思う。でも次勝ってしまったら、あの負けたときの屈辱を誰かに味わわせてしまうことになる。それは許されることなんだろうか?悔しさは力、努力は平等。そう言ってぼくは自分を正当化したくない。その正当化によって、どれだけの屈辱を強いられたか、ぼくは忘れてしまったのか?それは忘れてはならないし、忘れていない。そして忘れていないのならば、同じことはできない。悔しさを晴らすことによって、新たな悔しさが生まれる。いや、生む。このサイクルに加担したくない。もう嫌だ。

「今付き合っている人たちの方が百倍価値があった」。世に知られていない人の言葉だけれども、偉い作家は見向きもしないような言葉だけれども、こういう言葉を掬い取っていきたい。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。