ジャック・フィニイの『ゲイルズバーグの春を愛す』に収められている短編「愛の手紙」を読みました。原題は The Love Letter 。いま訳したら、たぶんそのまま「ラブレター」になると思いますが、やや翻訳が古いので、こうなったのでしょう。それとも訳者の趣味?
それはいいとして、最近読んだ漫画『きみにしか聞こえない』で、ぼくは「愛の手紙」という小説の存在を知りました。ついでに言うとジャック・フィニイという作家の存在も。この人はミステリーやファンタジー系の作家に分類されることが多いらしく、ぼくはそういう分野には疎いので、知らなかったのだと思います。日本で有名かどうかもぼくには分かりませんが、邦訳はかなり出ているようです。
さて、『きみにしか聞こえない』のあとがきで、原作者の乙一が、この「愛の手紙」のような作品を書きたくて、この(漫画の原作となった)小説を書いてみたのだ、というようなことを述べています。漫画化されるに当たって多少の変更はあったろうと思いますが、ぼくはこの漫画がとても気に入ってしまい、このような話の元になった小説とはどんなものだろう、と興味を持ったのです。
『きみにしか聞こえない』は、時間差がある中で電話をし合う少女と少年が主人公。彼らは空間はもちろん時間にも隔てられています。未来から過去へ、過去から未来へ電話をする二人。
「愛の手紙」も同様に、時間に隔てられた青年と少女の物語です。
80年も前の古い机を購入した青年は、そこに隠し引き出しがあることに気付きます。そしてその中には、1882年5月14日の日付のある手紙があった…。それは少女の書いたラブレター(愛の手紙)で、誰に向けるというでもなく、架空の誰かに、理想の男性に対して書かれた手紙でした。そして青年は奇妙な気持ちでその手紙に返事を出します。一週間後、机の別の隠し引き出しを開けてみると、そこにはもたもや手紙が…
解説によれば、ジャック・フィニイは過去志向の作家だったそうで、現実への嫌悪、過去の賛美は「愛の手紙」にもはっきりと見出されます。
かなり後ろ向きの作家と言えるかもしれません。この青年は、これから健全な恋ができるのか、手紙の少女は、その時代をどのようにして耐え忍んだのか。決して出会うことのできない相手を想い続けて生きていくことは、苦しいことでしょう。最後に二人の出会いが用意されていれば(80も歳が離れていたとしても)、まだ救いがあるのですが、この小説にはそうした希望がないように感じられます。
これは、いつまでも過去を引きずる人に対して、それでも未来を向いて生きろと呼びかけるのか、それとも、いや過去を大事に生きていけと語りかけるのか、という相反する思いと対応を想起させます。普通は、前者が聡明な立場だとされるわけですが、後者のような、過去ばかり見ている立場があってもよいのではないか、と言うジャック・フィニイ。この判断は容易ではないように思われます。しかし、未来を信じないのならば、そこには希望はないでしょう。とはいえ、過去の光芒を夢見つつ生きることだって肯定されていいではないか?
さて、こういう時間を超える話で思い出すのは、『トムは真夜中の庭で』です。この小説は、「愛の手紙」と比べると、より完成度が高く、また未来志向の作品であるようです。ラストは感動的ですしね。「愛の手紙」は、閉じた、ある意味で極めて「芸術的」な作品だと言えるでしょう。「芸術的」と言うのは、実用的ではない、実生活に害を及ぼしさえする、純粋に文学的な、という意味です。けれども、そういう小説も必要でしょう。実生活への指針を与えるような作品よりも、こういう、世俗的なこととは無関係な小説の方が、しばしば印象に残ります。こうした作品が生まれる限り、文学はまだ存在理由があると言えます。
それはいいとして、最近読んだ漫画『きみにしか聞こえない』で、ぼくは「愛の手紙」という小説の存在を知りました。ついでに言うとジャック・フィニイという作家の存在も。この人はミステリーやファンタジー系の作家に分類されることが多いらしく、ぼくはそういう分野には疎いので、知らなかったのだと思います。日本で有名かどうかもぼくには分かりませんが、邦訳はかなり出ているようです。
さて、『きみにしか聞こえない』のあとがきで、原作者の乙一が、この「愛の手紙」のような作品を書きたくて、この(漫画の原作となった)小説を書いてみたのだ、というようなことを述べています。漫画化されるに当たって多少の変更はあったろうと思いますが、ぼくはこの漫画がとても気に入ってしまい、このような話の元になった小説とはどんなものだろう、と興味を持ったのです。
『きみにしか聞こえない』は、時間差がある中で電話をし合う少女と少年が主人公。彼らは空間はもちろん時間にも隔てられています。未来から過去へ、過去から未来へ電話をする二人。
「愛の手紙」も同様に、時間に隔てられた青年と少女の物語です。
80年も前の古い机を購入した青年は、そこに隠し引き出しがあることに気付きます。そしてその中には、1882年5月14日の日付のある手紙があった…。それは少女の書いたラブレター(愛の手紙)で、誰に向けるというでもなく、架空の誰かに、理想の男性に対して書かれた手紙でした。そして青年は奇妙な気持ちでその手紙に返事を出します。一週間後、机の別の隠し引き出しを開けてみると、そこにはもたもや手紙が…
解説によれば、ジャック・フィニイは過去志向の作家だったそうで、現実への嫌悪、過去の賛美は「愛の手紙」にもはっきりと見出されます。
かなり後ろ向きの作家と言えるかもしれません。この青年は、これから健全な恋ができるのか、手紙の少女は、その時代をどのようにして耐え忍んだのか。決して出会うことのできない相手を想い続けて生きていくことは、苦しいことでしょう。最後に二人の出会いが用意されていれば(80も歳が離れていたとしても)、まだ救いがあるのですが、この小説にはそうした希望がないように感じられます。
これは、いつまでも過去を引きずる人に対して、それでも未来を向いて生きろと呼びかけるのか、それとも、いや過去を大事に生きていけと語りかけるのか、という相反する思いと対応を想起させます。普通は、前者が聡明な立場だとされるわけですが、後者のような、過去ばかり見ている立場があってもよいのではないか、と言うジャック・フィニイ。この判断は容易ではないように思われます。しかし、未来を信じないのならば、そこには希望はないでしょう。とはいえ、過去の光芒を夢見つつ生きることだって肯定されていいではないか?
さて、こういう時間を超える話で思い出すのは、『トムは真夜中の庭で』です。この小説は、「愛の手紙」と比べると、より完成度が高く、また未来志向の作品であるようです。ラストは感動的ですしね。「愛の手紙」は、閉じた、ある意味で極めて「芸術的」な作品だと言えるでしょう。「芸術的」と言うのは、実用的ではない、実生活に害を及ぼしさえする、純粋に文学的な、という意味です。けれども、そういう小説も必要でしょう。実生活への指針を与えるような作品よりも、こういう、世俗的なこととは無関係な小説の方が、しばしば印象に残ります。こうした作品が生まれる限り、文学はまだ存在理由があると言えます。
コメントありがとうございます。
時空を超えた愛とか恋とか、出会いとか別れとか、そういう作品の中にはけっこうおもしろいものがありますよね。実はちょうど今ハルヒの劇場版を観終えたところで、これも時空のひずみの物語でしたから、ここにこうして時空を超えた物語に関するコメントがあると、不思議な心持ちがします。
まあそれはいいとして、朱川湊人さんですか。ぼくはまだ読んでいませんね。最近は無気力のせいで読書ができなくて困っていたのですが、せっかくコメントを頂戴したことですし、こういうことでもないと読書を再開できそうもないので、これをきっかけに読んでみたいなあと思っています。思っていますが、なにぶん忙しかったり無気力だったりしますので、申し訳ないのですが確約はできません・・・。
でも御本を紹介してくださってありがとうございました。
朱川湊人の「かたみ歌」の中の「栞の恋」を読んで、昔読んだ「ゲイルズバーグの春を愛す」にあった「愛の手紙」や韓国ドラマの「イルマーレ」(後にハリウッド映画でリメイクされてます。)を思い出し、いろいろ検索しているうちに、こちらにたどり着きました。
そして、本文の中に「トムは真夜中の庭で」があったので、コメント書かせてもらいたくなりました。
「トムは真夜中の庭で」との出会いはちょっと不思議な偶然があるのですが、それはまた別のお話です。
「愛の手紙」も「トムは真夜中の庭で」も「イルマーレ」も…そしてあえて言えば映画の「オーロラの彼方へ」も、時間の流れのひずみ、歪みが存在していて、タイムパラドックスなど考え出すと、頭がこんがらがってしまう、でも、それは私には、心地よい混乱です。
もしまだお読みになっておられないのなら、朱川湊人さんの「栞の恋」(「かたみ歌」収録)、「昨日公園」(「花まんま」収録)を読まれた感想をお聞かせ願えれば、と思います。
コメントありがとうございます。
こちらこそ長い文章を読んで頂いて恐縮です。
『きみにしか聞こえない』、読まれましたか。ブックオフでの立ち読みだったのですが、泣きそうになりました、ぼくは。ああいうのに弱いっていうのは男としてはちょっと恥ずかしくもあるのですが、まあ仕方ないですね…
確かに、同じ感想の人と出会えるのはうれしいことですね。
ジャック・フィニイの『ゲイルズバーグ…』は、「愛の手紙」よりもむしろ他の収録作品の中にもっとおもしろいものがありました。おせっかいかもしれませんが、一冊丸々読まれることをお勧めしますよ。
本当に感動しましたそして私も同じように、あとがきでジャック・フィニィという作家の『愛の手紙』といいう小説の存在を知りました
私もこのコミックにピンときた1人で 笑
気になったんです
だから携帯で調べました
おんなじように思った人がいるって嬉しいですね 笑
今度図書館で探すつもりです
夜遅くにすいません読んで頂いてありがとうございます。
だから、『ゲイルズバーグ』全体のことはよく分からないのです…。
これは特定の場所を舞台にした話なんですか。ちょっと興味が出てきました。全部読んだら、いずれ感想を書こうと思います。
『ダブリン市民』だとサマになりますが、確かに『川崎市民』ではぱっとしませんね(川崎の皆様ごめんなさい)。でも『武蔵野』とか『武蔵野婦人』は郷愁を誘うなあ…
『肖像画』はちょっと怪奇色の濃い話でしたよね。細部は忘れてしまいましたが…でもまあまあおもしろかったような。
ジャック・フィ二ィの『ゲイルズバーグの春を愛す』はかなり昔に読んで
好きな物語だったのを思い出しました。
私はけっこうある特定の場所を舞台にした連作のようなものが好きみたいで
ジョイスの『ダブリン市民』とかアンダスンの『ワインズバーグ・オハイオ』とか
好きなんですよねぇ。
例えば今『川崎市民』とか『南区 福岡』なんて本があっても
ああは書けないだろうねぇ・・・なんて思いながら。
その流れで『ゲイルズバーグ』も読んだ気がします。
少しファンタジックだったのは覚えているんですが、細かい部分が思い出せないので再読してみようと思います。
今朝から『肖像画』を読み始めました。
では、また。