稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

№123(昭和63年1月31日)

2020年06月25日 | 長井長正範士の遺文


〇健康について。
吉田誠宏先生が、いつしか言われた事を思い出しましたが、先生は私に『思想を救うのは健康である。そして人格の繁栄は生活につながるんだ』と言って聞かされたのですが、その当時はまだ六十才そこそこの年で余り気にもせず、又先生の仰ることがピンと来ませんでした。

然し七十過ぎて(大正四年生れです)此頃なる程そうだと感ずるようになり、鈴木健二アナウンサーが、いつも言われている「健康は自分に贈られる最高のプレゼントである」は蓋し(けだし)名言だと感じいっており、あと何年生きられるか、余生を意義ある生活を送りたく、この素晴らしい生命の尊さを有難く感謝している次第であります。そして今日あるは皆さんのお陰と絶えず念頭に抱いて報恩の道を歩みたく、之がため私が今迄ご指導頂いた恩師の教えを正しく学び自ら実行に努めると共に立派な古くから伝わる教えを後世に残してゆき度く(たく)、決して私だけ一人じめすることなく(一人じめすると私一代だけで終ってしまい、あと跡絶えてしまうのが大変心残りであり、大変な罪を犯したような気が致しますもんですから)世に伝える事が報恩の道を思って、生命ある限り書き綴って行きたいと思います。

さて健康については最近益々話題に上り大変結構な事と思います。フランスの哲学者、デカルトは『健康保持は、この世における第一の善である』と語っています。即ち自分の健康を守ることは道徳の基本であり、人間として最も大切な事なのであります。従って自分の不注意や、不摂生で病気をしたり、命を縮め、周りの人達に、つらい思いをさせる事は不道徳である。と。人間は生活のために生きるのではなく健康で価値ある人生を送るために経済活動をしている事を忘れてはなりません。

最近、少年が簡単に自殺しますが、何ものにもかえ難い尊い命を粗末にすることは絶対ゆるさるべきでないと思います。自分勝手な、わが儘のこうじた者で、こんな者は親や、みんなに背いた卑怯者であると言わざるを得ません。われわれの命は自然と共に生かされている、という考えを持たねばなりません。佛門に帰依した東大寺の管長や薬師寺の管長の高田老師は口を揃えて『私共はこの世に生きさせて頂いているのだ。有難いことではないか』と、いつも言われています。大自然の恩恵に浴して生き活かさせて頂いている。本当に有難いことであります。

私が幼少の頃聞いたのですが、人間の命を大切にする標語を広く一般から募った時、いろいろと良い標語が集まったようですが、その中で一番簡にして要を得た「先ず健康」が当選したという事で成程とうなずけるのであります。いらん事をくどくど書いた標語よりも「先ず健康」とはスカッとした悟りの境地と言えます。かって月に第一歩をしるしたアメリカの宇宙飛行士、アームストロング氏は『月に立って初めて地球を見たが、地球も人類も、この宇宙の中で、生かされているという事を実感した』と感想を述べている。この生かされているという考え方が佛の道であり、剣の道でもあると思うのであります。

即ち大宇宙の恩恵を受けて、人間は今日まで生き長らえて発展する事が出来たのであります。ひるがえって見ますと私達の生命の起源については、原始地球時代の深い海の中で噴出した・・・以下続く』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする