田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

「ちょっと昔の、くらしと道具」展から

2024年06月26日 | 遠い日の記憶

 だいぶ前のことになります。六ツ門図書館で「ちょっと昔の、くらしと道具」展が開催されていました。展示品を見ると、「ちょっと昔」とは私が子どもだった時代のようです。社会科見学に来ていた小学生に文化財担当の職員が説明していましたが、実際に使っていた私が話した方が現実感があるような気がしました。少しだけ紹介します。

 このコーナーは常設です。昭和30年代の家庭といったところ。麻の蚊帳があります。蚊帳は夏の季語。いまの子どもも面白がって喜ぶのではないでしょうか。寝るときは背を屈めて蚊帳の中に入りました。同じ夏の季語で、食卓を覆う蠅帳というのもありました。

 足踏みミシン。棟割り長屋の隣家の小母さんがこれで内職をしていました。上に載っているアイロンは見たことがありません。煙突が付いていて、ネットで調べると炭火式アイロンでした。火のしの発展形で明治時代に普及したそうです。私が知らないはずです。

 電気こたつが来るまでは火鉢が部屋の暖房器具でした。火を熾す時に独特の刺激臭があり、時どき、新聞に一酸化炭素中毒の記事が出ていました。火鉢は調理器具でもありました。この上でお湯を沸かし、餅やスルメなどを焼き、お好み焼きまで作っていましたね。寝るときは灰を被せて火を消します。

 こちらは七輪。三和土の土間や庭で使っていました。火源は練炭で、燃え尽きたら近くの道路の穴ぼこに補修を兼ねて捨てていたものです。

 蚊を退治する噴霧器は比較的新しい製品だったように思います。体に良くないのではと、あまり好きにはなれませんでした。蚊取り線香の方が情緒があった。

 電気炊飯器が出てきたのはいつ頃だったでしょうか。羽釜の御飯の方が美味しかった。私も母に言われて時どき羽釜でご飯を炊きました。最初に火を点ける要領は、夏のキャンプでも役立ちました。夏場は朝食で残ったご飯を編み籠に入れて吊るしていましたが、昼頃になると臭いがしたものです。

 電気洗濯機。箱型ですが初期のものですね。まだ脱水装置はなく、ハンドルを回してローラーで絞ります。学生時代、下宿で使っていた洗濯機がこの手のものでした。

 ゴミ箱です。この頃は清掃係員が家庭を回る戸別収集でした。路地に面した我が家は、これよりも小さなゴミ箱でした。オリンピックを機に東京では環境美化運動が行われ、ポリバケツ収集になったそうです。

 懐かしいものが展示されていました。高三の時、これで受験勉強をしました。私の地方では夜の九時か、九時半からの放送だったと思います。毎日コツコツやれば必ず実力がつく、という講師の言葉に励まされたものです。一コマが15分ほどの短時間の講義でしたが、教室で先生に習うよりも身について、実践的な学力が向上するのを実感しました。

 

      「大学受験ラジオ講座」の冒頭 ブラームス「大学祝典序曲」      

 受験当時の思い出が甦ってきます。夏。勉強していて、窓の網戸に毎晩のように来ていたヤモリを指で弾いて気晴らしをしたこと。冬。日が暮れてから分厚い黒の半コートを羽織り、郊外まで何キロも散歩に出かけたこと。時にはウィスキーのポケット瓶を忍ばせていたことも。この頃から散歩の楽しみを覚えました。その時の部屋の床の肌触りや空気の匂いも、少し前のことの様に鮮明に覚えています。テーマ曲を聴いて、少しセンチな気分になりました。そういえば、一番上の孫息子がいま高校三年生なのです。

 

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