田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

33年前の中国訪問記(終)

2024年01月30日 | 遠い日の記憶

 10月11日(木) 上海から帰国

 朝食前にホテル近くの人民公園を散歩した。早出らしい通勤者も歩いているが、多くは私と同じ朝の散策である。健康体操の太極拳グループもいた。この公園で青年から声を掛けられ、切紙細工の似顔絵をもらった。このエピソードは以前投稿したことがある。こちらをクリックして下さい。

 9時、豫園に行く。明代の庭園である。中国の伝統的な建物のほかは、ごつごつした岩で壁を作ったり、奇岩があったりで日本人の審美観とはだいぶ異なる。

 豫園を出ると30分の自由時間が与えられ、周辺を少しぶらついた。繁華な地区で、古い建物の通りを歩いていると、昔の中国にタイムスリップしたような気がする。茶館の窓越しに蒸籠から湯気が立ちのぼるのが見え、饅頭や小籠包が美味しそうである。小さな中国書店をのぞき、漢方薬の店に入ったりして散策の時間は終わった。上海には2泊したが、訪れたのはここだけだった。

 豫園から空港に向かう途中、バスが日本総領事館の前でとまった。挨拶だそうである。だが時間がたっても戻ってこない。バスの窓から見ていた人が、領事館から誰も出てこないと言う。善意ではあっても、いきなりの訪問は有難迷惑というものだ。結局、持参した土産だけはゲート越しに受け取って貰えたようである。後で聞いたら土産は干し椎茸だった。

 虹橋国際空港近くの飯店で早めの昼食をとり、昼過ぎに空港に着いた。写真はエコノミークラスのカウンター。さすがに日中は混雑していた。夕方、福岡空港着。飛行機は滑るように着陸した。いつランディングしたのかわからなかった。

 700キロ近く田舎道を走ったバス旅は、疲れたが楽しかった。村や町には大躍進運動や文革の痕跡は残っていなかった。山の緑は豊かであり、山村では段々畑もあった。壁にはスローガンの文字もない。人民服はほとんど見かけず、女性はロングスカートが目についた。同文同種とはいいながら、たどってきた歴史は異なる。百聞は一見に如かずで良い勉強をさせてもらった。

 訪中したのは改革開放から10年あまり、本格的な市場経済へ移行する少し前である。日本との関係も比較的良好だった。いまの中国には鄧小平の言う韜光養晦という考えはない。杭州で中国全図を買った時、大丈夫かと聞いて通訳に笑われたが、現在は冗談ではなくなった。

 写真は合肥市の中日友好協会の通訳から届いたクリスマスカード兼年賀状。中に慶賀の言葉を書いた用紙がある。数年間続いた。中国の人は律儀でもある。

 

 

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