田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

江戸が東京になった日(太政官日誌より)

2016年01月23日 | 歴史
 慶応4年7月17日、江戸を東京と称する旨の詔書が発せられた。「江戸は重要な土地であり、私が自ら政治をみる必要がある。だから江戸を東京と称する」という内容の詔書である。  東京とは西の京に対する東の京の意味である。これは公家・宮中や京都に対する配慮もあって、詔書により直ぐに東京に都が移ったわけではない。だから都を移す意味の遷都ではなく、都を定める奠都という用語を使うことも多い。  太政官日誌よ . . . 本文を読む
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英国公使ハリー・パークス襲撃事件(太政官日誌より)

2015年09月23日 | 歴史
 慶応4年2月30日(旧暦)、天皇はフランス、オランダ、イギリス3か国の公使を謁見します。  ところがイギリス公使のハリー・パークスが、参朝のため宿舎の知恩院を出て御所に向かう途中、二人の暴漢に襲われます。この時は付き添っていた後藤象二郎と中井弘蔵が暴漢の一人を打倒し、もう一人はイギリス警備兵に捕縛されて公使は危うく難を逃れます。  このため、イギリス公使の謁見は3月3日に延期されました。その . . . 本文を読む
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太政官日誌とは

2015年09月10日 | 歴史
 太政官日誌は、明治新政府が京都で慶応4年2月に創刊し、以後明治10年1月に廃刊されるまで1,177号が発刊されました。現在の官報の前身にあたります。官報は明治16年に創刊されています。  発刊理由は新政府の政策や布告、動静など政府の統治にとって必要な情報を各行政機関などに周知するためです。創刊時は500部程度印刷され、諸国裁判所(当時の地方行政機関)や各藩留守居などへ配布されました。最終的には . . . 本文を読む
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