田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

京都ラーメンと屋台伝説

2024年07月07日 | 遠い日の記憶
 少し前、いつも行くショッピングモールにラーメン店が出店した。レストラン街ではなく、フードコートの小さな店舗である。流行りのチェーン店だが、北白川に本店があるというので久し振りに京都ラーメンを食してみた。  最後に京都でラーメンを食べたのは二十数年前になる。彦根に出張した帰り、京都駅で名店と言われる店に入ったが、普通の醤油ラーメンで期待外れだった。私が京都ラーメンとして味を覚えているのは、む . . . 本文を読む
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「ちょっと昔の、くらしと道具」展から

2024年06月26日 | 遠い日の記憶
 だいぶ前のことになります。六ツ門図書館で「ちょっと昔の、くらしと道具」展が開催されていました。展示品を見ると、「ちょっと昔」とは私が子どもだった時代のようです。社会科見学に来ていた小学生に文化財担当の職員が説明していましたが、実際に使っていた私が話した方が現実感があるような気がしました。少しだけ紹介します。  このコーナーは常設です。昭和30年代の家庭といったところ。麻の蚊帳があります。蚊 . . . 本文を読む
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北国から届いた贈り物

2024年04月23日 | 遠い日の記憶
 数日前のテレビで弘前公園の桜が紹介されていた。弘前城を中心とする広大な公園で、2,600本の桜で埋め尽くされる、東北でも有数の花見の名所である。その中継映像を見ていて、昔この城を訪れた当時の出来事を思い出した。  50年前の話である。秋の半ばに仕事で弘前市に出張した。その頃ある企画を進行中で、上司から弘前を見て来いと言われたのである。その日は午後遅くに用件が終わったあと、相手方の課長から弘前城 . . . 本文を読む
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33年前の中国訪問記(終)

2024年01月30日 | 遠い日の記憶
 10月11日(木) 上海から帰国  朝食前にホテル近くの人民公園を散歩した。早出らしい通勤者も歩いているが、多くは私と同じ朝の散策である。健康体操の太極拳グループもいた。この公園で青年から声を掛けられ、切紙細工の似顔絵をもらった。このエピソードは以前投稿したことがある。こちらをクリックして下さい。  9時、豫園に行く。明代の庭園である。中国の伝統的な建物のほかは、ごつごつした岩で壁を作っ . . . 本文を読む
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33年前の中国訪問記(7)

2024年01月25日 | 遠い日の記憶
 10月10日(水) 杭州市内  まだ冷気が残る朝の6時過ぎ、朝食前にホテルの近くを散策した。出張した時のいつもの習慣である。中国の朝は早く、街は活気に満ちていた。食べ物の店はもう営業していて人通りが多い。朝食の惣菜を買いに来たのだろうか。  店の中は湯気が立ちこめ、客が歩道に置かれたテーブルで食事をしていた。これと同じ風景を台湾で見たことがある。政治体制は異なっていても食文化は同じだ。 . . . 本文を読む
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33年前の中国訪問記(6)

2024年01月21日 | 遠い日の記憶
 10月9日(火) 杭州まで300キロ  今日は浙江省の杭州市まで移動する。一行のうち、若い二人は合肥へ引き返す。研修生として一週間、安徽大学で中国の地方行政や福祉などについて学ぶ。当時、合肥市からも久留米の企業で研修生を受け入れていた。いま流行りの技能実習生ではない。  朝早く山荘を出発したが、部屋にジャケットを置き忘れた人がいて途中、引き返す。公式行事も終わり、そろそろ気が緩むころである。 . . . 本文を読む
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33年前の中国訪問記(5)

2024年01月18日 | 遠い日の記憶
 10月8日(月) 黄山遊覧  朝6時過ぎ、外はまだ薄暗い。若者が二人、観光客に山登り用の杖を売りに来ている。  ロープウエー駅に行く途中で見た看板。国勢調査に協力することは国民の義務だ、といった内容のようである。こんな山中にとも思うが。  発着所には長い列が出来ていた。通訳が別の窓口で切符を買い、早く早くと我々を急かす。少し気が引けたが、行列を尻目に別のゲートから乗り場に向かう。 . . . 本文を読む
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33年前の中国訪問記(4)

2024年01月15日 | 遠い日の記憶
10月7日(日) 黄山へ  今日は黄山まで行く。当初は飛行機の利用を検討したらしいが、諸事情でマイクロバスでの移動となった。中国の内地を陸路で旅する機会はめったにない。  朝早く、6時過ぎに宿舎を出発する。黄山まで370キロ。2時間ほどで合肥の東にある巣湖の近くを通過した。巣湖は中国の五大湖の一つで、琵琶湖よりも大きい。ピンボケの写真だが、高速道路を建設中だった。当時、この国の道路事情は悪かっ . . . 本文を読む
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33年前の中国訪問記(3)

2024年01月12日 | 遠い日の記憶
 10月6日(土)工場視察  朝、街は通勤の自転車で混雑している。ひだスカートの女性は片方、裾を高くつまみ上げてハンドルを握っていた。歩道では武術服を着た若い女性が長刀を手に、ゆっくりと体を動かしている。朝課だろうか。  8:30  絹織物工場を視察。従業員数2,700人の大きな工場である。この日は土曜日で操業はしていなかった。生産管理や品質向上のスローガンが掲げられている。 . . . 本文を読む
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33年前の中国訪問記(2)

2024年01月09日 | 遠い日の記憶
 10月5日(金) 表敬訪問  訪中した年は改革開放路線が始まって10年余り。まだ人々の間に文化大革命の記憶が残っていた頃である。既に経済特区は開設されていたが、当時の上海は急成長の前で町並みは古かった。市民の交通手段はバスか自転車が主である。大通りは自動車のクラクションが喧しい。  早朝7時にホテルを出て空港へ。車中で朝食のサンドウィッチを食べる。紙パックのオレンジジュースは人工甘味料の懐か . . . 本文を読む
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