渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

不思議な流れ 〜ピースメーカー〜

2023年03月25日 | open


実銃ではなく、トイガンの話。
西部劇にコルト・シングル・
アクション・アーミーはつき
ものだ。
日本でも1960年代からコルト
SAAは人気が高かった。
日本人が世界初モデルガンと
いうトイガンを作った時から、
SAA人気はうなぎ登りだった。

1960年代から70年代のSAA
ブームでは、実は.45ピース
メーカーの人気は5.5インチ
銃身の砲兵モデルが圧倒的な
人気だった。
4.75インチの俗称シビリアン
モデルを好むのは、ドロウを
実際にやる人たちだけに限ら
れていた。
古い西部劇に出てくるSAAが
殆ど5.5インチモデルだった事
も背景にあっただろう。
ほんとに4.75インチを好むのは
ドロウを嗜むマニアのみだった
という社会現象があった。

ところが、1990年代あたりから、
西部劇でも考証がなされ、4.75
インチモデルが映像で多用され
始めた。
するとどうだろう。
現実世界でも日本もアメリカ(実銃)
も、4.75インチモデルの人気が
大爆発した。
日本のトイガンなどは、4.75
インチがまず標準、のような
風潮までできた。


1960年代、1970年代には4.75
を好む少数派だった私だが、
いつの間にか世間の多数派に
なってしまった。
まるで離れ目好みが市民権を
得たように。
離れ目ちゃんは1960年代や
1970年代にはファニーフェイ
スと呼ばれてレアだった。
浜美枝さんや相本久美子さん
やキャンディーズの蘭ちゃん
などは。
それが萌えヲタ文化開幕と共に
今や離れ目ちゃんが標準にな
った。アイドルたちも。

ピースメーカーは、日米におい
て、1960-1970年代まで実は
5.5インチモデル=アーティラ
リーが人気が高かった。
4.75インチモデルが急浮上した
のは1990年代以降だ。
この社会現象は面白い。
アメリカでニュースポーツと
して、カウボーイシューティ
ングとドロウ競技が盛んにな
り始めた時期とも重なる。
その先鞭をつけたのは、やは
り1990年代に始まったプチ
ウエスタンムービー製作ブーム
だろう。良い西部劇が映画の
中に復活した。
そして、そこでは4.75が多く
登場した。
それをベースに米国で実銃で
のシューティングが始まって
人気を博した。
日本ではトイガンでのドロウ
競技も組織化されて来た。
それまではごくごく一部のフ
ァンがドロウシュートしてい
ただけだった。
今や、流れは完全に「まず
4.75インチが標準」という
流れに変わった。
私がトイガンのSAAを買った
のは1967年からだが、ここ
50有余年の歴史を俯瞰して
見ると、流れの遷移が面白い。
4.75インチのピースメーカー
が離れ目ちゃんになったから
だ(笑
社会的世相として。

でも、個人的に一番好きなの
は、実はコルト・コンバージ
ョンだったりする。






最高なのだ。
そして、実銃のコルト・メタル
カート・コンバージョンは、
西部開拓時代においては、アメ
リカでとても多く普及して町の
市民や開拓民たちが所持して
いた。
民衆の銃がコンバージョンだっ
た。
造形美だけでなく、そこがいい。
コンバージョンは、実は最初か
ら今の離れ目ちゃんだったのだ。
異形のモノとして排除されてい
たのではなく、受け入れられて
いた。


離れ目ちゃんについては一家言
あるが、実は、欧米人の女優さ
んたちは、ほぼ全員が離れ目。
これ事実。離れ目で口が大きい。
なので、かつて日本で離れ目
ちゃんが「変な顔」とされて
いた時代にあっては、離れ目
ちゃんたちはまるでハーフの
ような面立ちの印象があった。
こじんまりと真ん中に寄った
和風顔ではないからだ。
浜美枝さんなどは典型だ。
だが、日本人初のボンドガール
である。選ばれた。
それは、日本人ぽくない顔立ち
とプロポーションというのが
確実にあった事だろう。
1960年代にあっては、顔立ち
は英米人ぽく見えた。
という事で、離れ目ちゃん万歳。

ショーン・コネリーが日本人役
というのは、いくら何でも無理
があったど。007の日本編。

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