渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

人間

2020年08月24日 | open






無人島にでも行って一人で暮らせばよい
ではなかろうか。
あるいは自分が悪意の遺棄をされてみる
とか。
邪魔だからと手足縛られて、アキレス健
切られて樹海に捨てられるとか。
もしくは、うつるの嫌だから自分で死ん
でみるとか。
死ねば感染の心配もない。
一緒に暮らす動物を殺してしまおうと
するのだから、自分が動物やウィルスと
いう生物未満の生き物に殺されても文句
言えないのでは。
時々夏休みの家族旅行に行きたいから
飼い犬を保健所に連れて行って「処分」
をしようとする日本人がいるが、最近
増えてきているという人間たちもその
同種だろう。
命のことなど何とも思っていない。
こういう族は人間の命さえも何とも思って
いない。
あるのは餓鬼のような自己の欲求だけだ。
「冷たい飼い主」などという範囲ではな
い。
「家族」という意識が無いから平気で
一緒に暮らした生き物を殺してもらう
依頼をしたがるのだろう。
子どもたちや家族の前で自分の手で殺し
て見せればいいではないか。コロナに
うつるの嫌だからこの子を殺すんだ、と。
動物愛護法の問題外として。
そして、お前からうつるのも嫌だから、
お前たちも殺すんだよ、と。子どもたち
に言ってみろ。刑法外の問題として。
やってみろ、バカタレが。
私がやることは正しいのだ、と。
堂々と世間に公表してやってみろ。
誰だってコロナにはうつりたくないでし
ょう?だから生き物の生命を殺すのよ、
あたしの何が悪いの?と世の中に公表し
て言ってみろ。

そもそも、現行法では動物は「物」扱い
だが、法的な面以外でも「ペット」とい
う概念自体が間違っている。
自分の子も同然という命ある家族である
認識に乏しく、車乗り換えくらいの愛玩
物にしか思っていないから命ある生き物
を途中で平気で殺そうとする。廃車する
ように。
コンパニオンアニマルというおためごかし
呼称も私は嫌いだ。
内実はパートナーアニマルという意識で
ないと、その子たちが死ぬ時まで責任を
持って育成できない。

私はペットショップでの店舗生体販売に
さえ懐疑的だ。
大手ショップで売れ残った子たち、どう
されるか知っていますか?

愛護センターや保健所へ飼っている生き
物を持ち込んで殺させる人間の住所氏名
は公表すべきではなかろうか。法改正に
より。
だって、正しいことやってるんでしょ?
住所氏名を公示して国が勲章でもやった
らどうか。

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