渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

同一砥石で違う結果を得られる事

2021年07月07日 | open


砥石は天然であろうと人造であろうと、
研ぎ汁の状態と押圧の力加減によって
同一番手ではない別番手の砥石の効果
と、さらに別種の研ぎ結果を与える事
ができる。
研ぎの決め手は砥石の如何が最大に大き
な要素だが、研ぎ手の腕によってもその
砥石の特性を熟知して砥石の持ち味の幅
に振幅をつける「引き出す」技法を駆使
できるケースがある。
要するに、研ぎとは、物理的な側面では
砥石如何が最大要素を持っているが、
研ぎの如何そのものは研ぎ手の腕の如何、
抽斗の多さ如何に依る、というもので
あるのだ。

研ぎにはいろいろな研ぎ方がある。
唯一存在しないのは「しゃくって研ぐ」
という事だ。
それとて例外はある。日本刀研磨でタツ
に突く時に地肌を起こしたり伏せたり
するためには立て研ぎのタツでしゃくり
研ぎをする。
そのしゃくり如何で内曇りを引いた時に
地肌がどうなるかが方向づけられる。

但し、一般的な刃物においては、しゃくり
研ぎなどは一切存在しない。存在する要素
が無い。
アングルの決めは一般刃物研ぎでは極めて
重要な絶対条項なのだ。
 
研ぎに通じると、単なる炭素鋼の
肥後守であっても、無数の銀河が
散らばる宇宙の姿を引き出す事が
出来る。これは日本刀研磨の知識
と技術に通じていないと実現不能。
 
実用刃物である肥後守に対して、
このような美術刀剣研磨のような
研ぎをくれてしまうのはナンセンス
と言えばそれまでなんですけどね(笑)。
まあ、ひとつの研ぎの技法の実証
としてのサンプル的モデルケースです。 

なんせ、手前の暖簾はこれなんで(笑)。


早月のさつきは皐月であり、陰暦の
五月の事。新暦ではちょうどきょう
の今頃の事だ。別名、雨月。仲夏とも
呼ぶ。
そのさつきの「さ」とは、日本の古代
神に捧げる稲の意味を表す「皐(さ)」
の文字がいつからか与えられた。
「五月」も「早月」も「皐月」も当て
字であり、元々は「さつき」だ。
稲作が日本に発生してからこのかた、
神聖な語「さ」を中心に捉える一年の
うちの月として弥生時代の古代より
日本人は捉えていた。

広島県三原市は五月に咲く花サツキを
市の花として制定している。
私が早月を名乗るのは、備州三原の事
を表しているためだ。

古刀三原。鎌倉時代末期~。
現在の三原城のある戦国末期に登場した
新しい場所ではなく、現三原市糸崎もし
くは現尾道市内、あるいは内陸部の広域
が「三原」と呼ばれた現時点で比定未定
の場所で作刀されたのだろう。

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