渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

方位感覚と自己位置の認識

2024年04月15日 | open



以前から気になってはいたが、
地図が全く読めない、という
人が時々いる。
その理由や原因はよく分から
ない。
自分の位置が不明なのでスマホ
のアプリでGPSを使って地図を
出して現在位置を表示するのだ
が、東西南北の方位だけでなく、
自分の位置からどちらに向かっ
て進めば目的地に到達できる
かが全く理解できないのだ。
地図など見なくとも、高い位置
にいたならば、日照方位や地形
を見て手元に地図があるならば
そこから状況を割り出す事は
大抵の人は容易なのだが、それ
が地図とGPSという補助資料が
手元にあっても、皆目位置関係
が理解できない、という人たち
が世の中には結構いる。
それが極度に進むと、アプリの
地図上で自分の現在地が表示
されても、それが目視で俯瞰
して景色を見回してアプリの
地図上と符合させる事ができ
ない。

この手の人は結構いる。
世間一般では「方向音痴」など
と呼ばれているが、そうではな
い何かがあるように思える。
全く自分の現在地と地図上の
符合が不能なのだ。
そして、現実で周囲を見回して
も、「あそこにあの建物があり、
あの信号の所にガードがあるか
ら、あの方向に進めば到達する」
という判断が一切、全く、微塵
たりともできないのだ。

これはどうしてそうなるのか私
には理解不能だが、単なる方向
音痴とかではなく、何かがある
ように思える。
そして、そうした人たちは、場
所の説明をするのに、地図の
写しやそのエリアの俯瞰衛星
写真を示しても、「地図や写真
などで場所が分かるか」と反発
したりする。
どうやってその人に理解しても
らえるような説明をすればよい

のかこちらが理解不能になるケ
ースも多々ある。
通常具備していると思われる方位
感覚とは何かが根本的に違うのだ
ろう。
だが、そうした人たちは存外世の
中に多い。
空間把握力の問題なのか、何が
原因なのかは私は不知。

そうした人たちはナビゲーション
をよく使うようだが、とにかく
ナビの利用の際も、実走行と
ナビを照合させて把握するので
はなく、ナビの言うなりで進む
だけのようだ。
ナビシステムはよく道を間違え
たりする。細かい現実的道路状
況への完全適応
は現在も完成さ
れていない。

状況が変化したならば、それに
人間の側が即応対処して運行を
進めなければならないのだが、
ナビ
に全てを頼っている人たち
は、
その対処が不能なのでよく
道を間違
う。人間の力で状況を
乗り越え
る事ができないからだ。

統計は見ていないので不確かな
事は言えないが、よく世の中で
は「地図を読めない女」という
事が言われたりもする。
男性よりも女性のほうが地図を
見ての空間把握能力が低い、と
するものだ。
だが、私はこの説には疑問だ。
男性だろうと、地図が全く読めず、
また方位感覚が殆どゼロの人たち
はかなりいるからだ。
地図が読めないという事は、当然
二輪や四輪の配線図を見ても現実
との照合ができないので、実際に
は実車の配線の取り回しの理解は
出来ない。
その事実もよく見る。

そして、例えば、二輪などで共に
走り回って帰還しても、どこを
走ったのか全く理解できていな
いので、記憶としても自分自身が
どの道をどのルートでどの方角か
らどちらに向かって走行したの
かが記憶として刻まれない。
つまり、現実行動において「記憶」
が形成されないのだ。
「そんな事あるの?」と思うかも
知れないが、こうした人たちは
実はかなりいる。
記憶が形成されないから、何年の
何月の頃のあれはこうだったよね、
という記憶も一切無い。
自己の言動についても、一切記憶
というものが存在しないので、
自分が言った事もやった事も全く
覚えていないのだ。遠い昔の事だ
けでなく、つい数日前の事さえも。
これは、少し恐ろしいものを感じ
る。
だが、医学的には健常者である。
認知症でも統合失調症でもボー
ダーでもない。

本人たちはそうした態様であっ
も全く不便も感じてはいない
ので、
本人たち自身には問題は
無いの
だろう。
だが、本人たちの感覚と異なる
たちとの共同行動の時には、
多少支障が出て来たりする。
極端な例では、待ち合わせ場所
にそうした人たちは集合できな
い。特定位置に自力では到達で
きないからだ。
老人ではない。若年層や成人の
若者であろうとも、
こうした例
は、特別ではなく、
結構世の中
に存在する。
学力等は一切関係ない。

私の経験では、東京大学大学院
修士課程修了の人にもそのよう
に全く自己位置の認識と方位感
覚がほぼ無い人がいた。
学力や知能とは別の何かがある
のだろう。
また、これらは視力の良し悪し

と同じで、人格の良否とも一切
係が無い。

私は専門家ではないので確実な
事は言えないが、こうした方向
感覚に問題を抱える人たちは、
幼い頃からの訓練によりある程
度克服できるのではなかろうか。
あるいはそれは大人になってか
らでも訓練により対応能力を上
げる事は可能だろう。
方向感覚方位感覚に乏しい人
たちは、無意識にそれを自己
認識して、「場当たり的」な
対応で結果オーライ的に対処
してきたために、なおさら根本
部分が変化するどころか内実と
してさらな
る悪化を呼び、抜本
改善なきまま
「対処療法」的な
方法のみでクリア
してきたので
はなかろうか。
その本人はそれで問題は無いだ

ろうが、集団行動となると支障
をきたす。

あくまで個人的な妄想だが、そ
うした方向感覚の脆弱さは訓練
よりある程度克服できるので
はと思う。

小学生の時の教育課程の一環で
野外でのオリエンテーリングな
どがあるのは、そうした人間の
能力を高めるための訓練だった
と私は記憶している。
なお、方位方向を正しく認識し
て進む方向を選別できる能力は
兵士には必須条件として必要と
なる。特に歩兵のライトインフ
ァントリーにおいては絶対条件
だが、海図により船舶を航行さ

せたり、計器により飛行する部
署においても、絶対事項として
方位と自己位置の識別力は必要
となる。






この記事についてブログを書く
« やめよう、攻めすぎ | トップ | 走る凶人 »