渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

福山城

2023年04月11日 | open









備後福山城。
美しい城だよなぁ。
再建だけど。
再建でも外見は復元。
江戸期もこうした姿だったのだ
ろう。
福山藩の藩校は現在の広島県立
誠之館高校だ。

江戸初期に安芸備後二国を治め
た福島正則は、広島城無断改築
の嫌疑により転封させられた。
その後、安芸備後は統治が分割
され、備後福山城には水野氏が
入り、安芸と備後西部三原には
紀州から浅野氏が入国した。
浅野家は幕末まで広島藩を治め
た。

備後国三原までが吉備国だ。
今の時代、何故か誤認が多いが、
広島県三原市東部は吉備国であ
る。
今の三原市内の広島県立大学の
丘が備後国と安芸国の国境。
三原城は戦国期の城なので、
天守は存在しない。
だが、築城した小早川時代の
様式ではない事が史料から看取
できるので、やはり、完全に完
成させたのは築城名人の福島正
則が三原城を完成させたのでは
なかろうか。
ただ、不思議なもので、三原人
は浅野氏や福島氏には敬意など
は払わず、遥か彼方の時代の
土地開発者の小早川氏を上げ奉
っている。
これは、個人的には私には奇異
に感じる。
江戸だった東京で、太田道灌を
奉ずる気風は無いからだ。やは
り徳川家に敬意を払う。
広島県三原市民の感覚は、私に
はよく解らない。
多分だが、現実的な時代的な脈
絡にある殿様を身近に感じず、
遠い戦国期の武将を夢物語の絵
空事のように夢想しているので
はなかろうか。
かといって、小早川氏以前にこ
他(陸地山地部分)を領してい
た中世の武将山名氏などには全
興味を示さず。
結局は、現実的に人的につい何
代か前に存在した安芸広島藩浅
野家の殿様や家中たちには気持
ちを一切寄せない層が450年前の
小早川氏を持ち上げているので
と推察する。


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