渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

刀で切るという事

2020年12月04日 | open


日本刀で静止物体の据え物を切るなどと
いうことは極めて簡単だ。
片手だろうと諸手だろうと造作のない事
である。ただ単純に刃筋を通して素振り
や抜刀術の形(かた。型ではない。この
概念識別は極めて重要で、カタを型と無
造作に識別意識無くして書く者に練達者
はいない)で刀を振るだけだ。
刀で切るに、力技などは使わない。
すべて、ただ振るのみだ。
ただし、切先は円弧軌跡は取らない。
グンと先に伸びて真下に落ちるような楕円
軌跡を取る。

竹や巻畳表や巻藁を切るのは極めて簡単な
事だが、難しいのは生き残る事だ。剣持つ
敵を倒して。
これが剣戟の本旨であり、立てた静止物体
をいくら切っても、操刀法としての術理を
理解するのみで、斬り合いには何の役にも
立たない。
斬り合いは対裁きと心の状態の在り方次第
だ。
特に、複数人以上の集団での乱戦となると
一対一の果たし合いでの剣術の技術などは
まったく使えない。
これは、幕末戊辰戦争や西南戦争で実際
に大立ち回りの実戦の斬り合い、殺し合い
をして生き残った人たち誰もが言うので
あるから間違いない。
日中戦争や昭和環太平洋大戦で日本軍が
無抵抗の捕虜をバンバン斬首したよう
事は一切刀術武技の参考にはならない。
それは戦闘行為ではなく、ただの外道の
虐殺行為でしかないからだ。歴史的に日本
人が恥ずべき、日本刀の最悪の使い方だっ
た。

試斬は一体何を試すのか。
剣取る者は、能く能く吟味すべし。

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