1960年代、群馬県の榛名湖にスケートを
やりに行った。
小学校低学年の時だ。
新宿西口からバスで行った。
父の会社の人たちに連れて行って貰った。
榛名湖では、ワカサギ釣りというのを初
めて見た。
アイススケートを初めてやったのは、品川
のスケートリンクだった。5才の時。
これも父の会社にスピードスケートの元
選手がいたので、教えて貰ったが、厳し
かった。戦前生まれの人たちは、教える
となったら例え子どもだろうと手を緩め
ない。
なにくそ!負けるものか!と奮起して
頑張るので上達は早いのだが、とにかく
厳しい。
だが、負けず嫌いな奴は短期間で上達し
たのも昔の子どもの特徴だった。
そして、昔のそれが良かったのは、他人
を蹴落とすことではなく、自分の能力を
高めることで自己の劣勢を転覆しようと
子どもたちが努力をしたことだ。ガキども
は「奮闘」の大切さを学んでいた。
徒競走で御手手つないでゴール、人に順列
は付けないため、などという現在の歪んだ
おためごかしの事は全否定である、という
リアリズムがかつては存在した。
大切なことは、トップでテープを切った子
も、走りきれなかった子も、互いに健闘を
称えてその前向きな心を称賛することで
あったし、そうした精神を教育されて来
た。
それは決して、なにも優越主義的に勝った
者が負けた者を足蹴にすることではなかっ
た。
大切な教えだったと今でも確信している。
ニセの平和主義や平等主義は真の平和主義
や本物の平等とは別次元の事だ。
その人なりに最大限に奮闘したその健闘を
互いに称える。
だからそこスポーツは精神的な健全性の
涵養の場、教育の場となり得るのだ。
榛名湖にはこれは大昔からあった。
乗りたかったが、乗れなかった。
足を止めて指咥えてカートを見ていたら、
「スケートをやりに来たのだから、スケー
トを練習しないとダメじゃないか!」と
父の会社の人に叱られた。
そらそうだ、と滑った。
そうした発想をパッと転換することも、
向かって行くことも全く苦ではなかった。
自分が出来なかったことがどんどん出来て
くるのが楽しかったからだ。
「修行」なんてのは私は今でも嫌いだ。
嫌いの上に「大」が付く。
何か苦行をすればそれでよしというような
発想自体が大嫌いだ。
成果はどんどん上がる。それはそれできち
んと自他共に評価すべきだ。
あくまで、客観的に厳格に。何が出来て
何が出来ていないのかを。
成果が現出しているのに、それを認めずに
徹底的にこき下ろすのが「修行」だと勘違
いしているような輩が世の中多すぎるの
も、私が「修行」を嫌う大きな要因だ。
私の場合、全てを楽しんでやっている。
苦労の向こうには明日が開けているのが
分かるから。
どんどん、ズンドコ出来るようになる。
人によって進度の差こそあれ、着実に人
は出来るようになる。
こんな面白いことがあるかっつーの。
榛名湖。
旅館で出たワカサギの天ぷらは最高に
美味しかった。
家に帰ってからワカサギの天ぷらを望ん
だら、んなもん魚が売ってねえってさ。
ひぃー。
そりゃそうだ。昔は今みたいな物流では
なかったので、季節の旬物であろうと、
地方名産品が簡単には都心部でさえも手
に入らなかった。特に魚などは。地方の
名産種などが出るのは高級料亭のみだ。
全国的な産直トラック輸送が一般化した
のは1980年代以降の事である。
それまでは、物流の中心は貨物列車。
DD51、最高にカッケー!