都内文京区の高校の2年時
に製作した映画のラスト
シーンでは、この電車の
向こうの海岸でロケした。
実存主義映画。
主人公の少年が沈む太陽を
見て愕然とするシーンで終
わる。
私は演出を担当した。
それと本編撮影で使う場所
の各地のロケハン。二輪の
機動性が有効に働いた。
出演は他の男子高校や女子
高の人たちにも依頼した。
それも私の担当。
イケメンと美人揃いにした
のは今考えると若気のいた
りだったかもしれない。
なんせ「吉永小百合を連れ
て来い」とか言ってたのが
S特進のクラスメートの監
督だったから。
キャスティング決定は監督
が最終的に行なった。
だが、主人公役の後年早稲
田に進んで休学してカメラ
マンになって東南アジアを
放浪してた同級生の奴は、
決してイケメンではなく、
殴られたムーミンのよう
な顔だったので、かえって
対比描写としては映像的に
は映えた。「交わらない精
神世界」を描くのがテーマ
だったからだ。
「高校生が面白い映画を
撮った」とうちの高校の文
化祭で観た東大生の間で話
題になり、フィルムを貸し
出して東大本郷の学園祭期
間中上映された。
東大本郷はうちの高校の近
所の大学だった。
砂鉄が採れる浜。
幼稚園の頃、遠足では大き
なU字形の磁石に紐を着け
て腰から引っ張って歩いた
りした。小学校でも社会科
の野外授業の時間にそれを
やった。
磁石にくっつく砂鉄を採っ
ていろいろな事を学ぶため
だ。
当然、「砂の持ち帰りは自
然環境が云々、法律が云々」
などと目くじらをたてるコン
プラ警察良市民ぶりっこする
人などは一人もいなかった。
今の時代は異様だ。
私らが作った映画は文化祭
でも大入りだったが、私は
別クラスの連中が作った
ヤクザ映画が面白くて何度
も観た。
主演は私のギター仲間のマー
ティンD35が愛器の奴で、
「おまいどう見ても本職だ
ろう?」というような風貌。
バイクには乗らないがモデル
ガンファンで私と気が合った。
近所のガモスーの生まれ育ち。
そして、映像技法としては
その任侠映画のほうが我々
の作品よりも秀でていた。
私らは製作手法とノウハウは
芸術学部に進学して映画を作
っている卒業生の先輩から手
ほどきを受けたが、任侠組の
ほうは自分たちのみでやった
ようだ。
ただ、スクリプトまで含めて
完成度の高いのは我々の作
品のほうだった。
でも、観てて面白い映画と
いうのが一番強いよな(笑
難解な映画よりも。