渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

三原城の濠

2021年01月09日 | open


本日、三原城の濠の水が異様に澄ん
いる。なんでだろ。




ここまで濠の水が澄んでいるのは見たこと
ない。


三原港の目の前にあるカネショウ。


元々は八百屋だったが、戦後にカフェと
り、大変人気のある店だった。
2階に港が見えるカウンターがあり、夜
は小洒落たパブだった。
私も高校生の頃から、三原に来るたびに
立ち寄っていた。この店から見る港の夜景
がなかなか良かった。
その頃、私はカティーサークのボトルを
入れていた。
今でこそ、未成年の喫煙や飲酒は厳しい
が、昔は社会的にゆっるゆるだった。
私の高校時代には、赤坂でダンスパー
ティーを開催したり、JAZZ喫茶で曲を
聴きながらジンを飲んだり、歌舞伎町や
池袋の居酒屋で文化祭の打ち上げ乾杯!
などは普通だった。
なんせ、高校2年の時のS特進クラスの
担任教師が家庭にうちら生徒を呼んで、
一緒に酒盛りしていたくらいだ。担任は
のちに開成高校に転職し、学年主任から
副校長(教頭)になっていた。早稲田文学
を担う人でもあった。
高校卒業直後に、2年次担任や英語教師
たちに連れられて、高校のそばのラウンジ
を借り切って大宴会をやった。英語教師
があれほど弾けた人だったとは、その時
初めて知った。店内駆け巡り大爆発の
大騒ぎだったからだ。
第一、大学1年はまだ18才でしょう?
大学では新入生歓迎コンパで大宴会の大飲
み会が開かれるのは世の常だった。18才
の新入生も飲まされる。酒を飲んだ事の
ない地方からの入学者は、宴会での一気
でまずあとでリバースモードになるのだ
が、都内の高校から都内の大学に進学し
た連中は、大抵はケロっとしてぐいぐい
とやっていた。
高校生も二十歳前の大学生も、旅行先など
では、ごく普通に喫茶店に行き、また、
夜はバーや居酒屋に行って酒を飲んだり
していた。
大学生とかは「パブ」に行く事が多かっ
た。今でいうと居酒屋チェーン店だろう。
40年程前は、チェーン店は少なく(養老乃瀧
はおじさんサラリーマン御用達だった)、
レストランのような洋風パブがリーズナブ
ルで流行っていた。銀座のライオン・ビア
ホールのような洋風の店が。
三原にあったカネショウも、東京のそんな
飲食店に雰囲気がとても似ていた。
東京に住む人たちは、やたらめったらと
外食をする。東京横浜で一番多い店舗の
職種は外食産業だろう。

三原のカネショウは今は建物は貸し出し、
カネショウさん自体は、棟内の1階の一画
に小さな喫茶店を経営している。
外装内装はリフォームされているが、基本
は戦前の造りのままだ。
現在、角地は1階2階ともダイニングとして
別店舗が営業している。


向かいは三原港。



新しい観光船が三原から広島市内まで就航
しているようだ。知らなかった。
これ、何だか面白そう。




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