渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

2021 MEGURO K3 撮影紀行

2024年05月10日 | open

2021 MEGURO K3 撮影紀行


この動画のこの ↑ 場所はここ ↓



東京都目黒区青葉台。
目黒川にかかる朝日橋の所だ。
私が生まれた時に住んでいた
家から歩いて10秒の所。
私が生まれた時にはこの緑の
欄干の朝日橋は存在しなかっ
た。ここにはガス管が渡され
ていただけだ。東西両横の
宿山橋と緑橋は存在した。

なお、動画中にある目黒製作
所の場所だが、山手通り沿い、
場所は品川区になる。辺り一
帯は品川区ながら目黒と呼ば
れていた。
JR目黒駅が品川区に存在して
いるようなもの。
目黒製作所のあった場所には
現在は東京日産自動車販売が
入っている。住所は品川区西
五反田だ。

1960年代は新山手通り沿いは
工業地帯だった。小さな町工
場が沢山軒を並べていた。
少し入ると昔からの高級住宅
街で、美空ひばりの「ひばり
御殿」などもあった。
私が生まれた時の家の地名は
現在は青葉台という瑞祥地名
が新設
されているが、私の生
まれた
頃は上目黒という地名
だった。

上目黒が分割され、現在の上
目黒と青葉台という地名にな
った。上目黒一丁目は青葉台
一丁目になった。そして、の
ちに住居表示制度実施により
地番から現在の住居表示に変
更になった。

上掲の動画は、気持ちとしては
「目黒といえば青葉台の目黒
川の桜並木の周辺」という演
出にしたいのだろうが、目黒
製作所が自分の家と父の会社
の近所にあった者から
すると、
情景描写としては異
なると感
じる。

目黒製作所を題材にするならば
山手通りをメインに映像を構

成しないと。
まだ中目黒まで都電が通って
いた時代の雰囲気を偲びなが
ら。
今の青葉台桜並木の川沿いの
通りは今様過ぎるし、場所が
目黒製作所の場所とは違う。
メグロの交通エリアは東急不

動前であり、国電五反田駅だ。
中目黒ではない。
東急目蒲線不動前駅を五反田
方面に進み、山手通りとドン
突き左側がメグロがあた場所
だ。

私はこの目黒区南部と品川区
西部の隣接エリアは、生まれ
た場所であるだけでなく、学
生時代も社会人時代も馴染が
深いエリアである。
土地勘というものにおいて、
上掲の映像作品には違和感を
覚える。私、目黒の地の人間
だから。

1964年東京オリンピックの頃。
目黒製作所のそばの父の会社
にて。


 


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