渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

5時55分

2021年10月08日 | open

夜は明けたが、まだ日は射さない。

朝の瀬戸内海。


市街地西方。


東の空が赤らんで来ています。


JR三原駅では始発の新幹線が待機
してる。
地面が少ないので、お城の真上に
明治の鉄道開通時に駅を作ってし
まいました。全国でここだけ。
城跡まで駅から何分とかでなく、
城跡が駅。


見えている街は全部三原城内です。


城内の武家屋敷は明治9年に全て
召し上げられて、旧武士の広島県
士族の住民たちは強制立ち退き。
武士の屋敷はいわば官舎であって、
百姓家や商家のような私有財産で
はありません。お上の意向次第で、
取り上げられたり、与えられた
します。
その後、お城の御殿も解体されて
建材は競売(けいばい)にかけられ、
石垣の石さえもが売りに出されま
した。
城内の武家屋敷の土地は民間に払
い下れ、よそから人が大量に
移住して来ました。
それが三原の城内、城下、郊外の
実相。
沖を埋め立て工業地帯を作り、大量
の労働者も移住して来ました。
明治中期から人口が爆発的に増えた。
江戸期には城下の人口は武士と町人
で1万人でしたが、その後は10万人
程まで膨れ上がった。
つまり、三原は人口の9割が「外から
来た人」で構成されている。
急激な人口増加のため、三原には
滅多矢鱈と病院と理髪店と飲み屋
が多い。
理髪店は理容店も含めると、町中の
通りの住宅街では数軒ごとにある感
じです。
小病院も旧山陽道沿いでは数軒ごと
にあります。
これ、成人後に初めて街を歩いた時
に驚きました。
びょういんとびよういんだらけだー、
と。

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