渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

猫の一生

2020年09月01日 | open



夜中にミャアと言う。
数えで19才のおばあちゃんだ。
乳がんを患っているが、もう手術はでき
ない。
ただ、食欲はある。
そして、トイレの時にも鳴いて知らせる。
連れて行って、と。
3時間おきくらいにそれがある。
ご飯も細切れに食べたがる。
私と家内でかわりばんこに面倒をみる。
人間側は睡眠不足がここ半年程続いている
が、全然苦ではない。肉体的にはきつく
とも、私も妻も互いにフォローし合って
この子をケアしている。
だって、私も妻もこの子も、家族なのだ
ら。
うーん、きつい、というところは正直あっ
たとしても、それを嫌だとか苦に思う事は
一つもない。家族なんだから。
この子は私たち人間の面倒をみることは
できないけど、家族として一緒に過ごして
くれて、とてつもない豊かな時間を共有
してくれた。ありがたいことだ。
今、この子が老齢で弱っている時、その
面倒をみることがどうして苦になろうか。

まだね、声を発して訴えてくれるからまだ
いいんだよ。
声色などでどう感じているのか、何を求め
ているのかが窺い知れるから。
今はまだ、幸いに食欲は旺盛だ。それが
救いだ。

生き物ってね、人間と違って、自殺はし
い。
そして、最後の最後まで、最期の時まで
頑張ってみたりする。何とか生きよう
と。悶え苦しみながらも。
人間たちより、ずっと偉いと私は思うよ。

死ぬまで一緒。
夫婦もそう。離れ離れに暮らす親子も
そう。家族なんだから。
この家族の絆を悪意で侵害することは、
なんぴとたりとも許されてはいない。

私としては、どんなに真夜中だろうと、
私たち夫婦に呼びかけていいから、少し
でも己の生きたいという気持ちの通りに
してあげたい。できることは何でもして
あげたい。命なのだから。

おばあちゃん猫が声を出して訴えるたび
に、心配そうに近くに寄って来て、何か
猫語で話す3ヶ月児。
お前、黒猫ベンベンと同じで、いい奴だ
な。




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