渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

古流武術伝書(正真)を見る

2017年09月11日 | open



ある本物の古流武術の正真伝書で
ある。
実物を実見してまじまじと現認、
観賞。友人がひょんな事から入手
した。
剣技としての内容の検証以前に、
これらをすべて身に着けていた者
を相手に斬り結んで果たして勝て
るだろうか・・・。

本来、武と武の対峙とは、そうい
う境地でどう己を客観的に俯瞰で
きるかが生死を分けたものだった
ことだろう。


小太刀切込が四拾ヶ條!
83箇条のうちの半数近くを占め
る斬り方の範。一体何だ、これは。

非常にこの流派が実用主義だった
だろうことが窺い知れる。


う~ん・・・勝てる気がしない(笑)。

やはり、俺はこれからはこれぜよ。
懐手で握ってるやつね。
カタチくっきり(笑)。



実際のところ、幕府警察が坂本
龍馬の潜伏先の伏見寺田屋を急
襲した際にも、坂本は当時銃で
武装して常に携帯していた最新
式のS&Wのカートリッヂ式リボ
ルバーを発射して、幕吏一名を
射殺してその場を脱し難を逃れ
ている。
拳銃をつきつける坂本に、幕府
の襲撃捕縛部隊は手も足も出な
かったというのが真相だろう。


だが・・・。
結局は、坂本は何者かによる
小太刀刀術によって脳天を斬ら
れて絶命した。

やはり、「これからはこれぜよ」
ではなかったがぜよ。

結局、原始的な武器である刀が
最強か。





土佐の坂本殺害時の武器は何で
あるかについて、剣戟の際の坂
本の刀の瑕疵状態を取り上げて、
大きな切れ込みがあるから、小
太刀による斬り込みではないだ
ろう、などという意見もネット
では見られる。
だがそれは、まったく刀のこと
を知らない、物を斬った事さえ
ない者の空想による断定発言に
相違ない。小太刀の一刀がどれ
程の威力を持つのかについて、
果てしない無知を曝しているだ
けのことだ。

小太刀一刀の一閃での脳天かち
割りどころか、斬撃による朴鞘
えぐり、刀身削りなどはわけも
ない。

小太刀刀術は極めて「実用的」
なのである。




私の小太刀。重ねは非常に厚い。
この刀、物凄く切れる。家伝。
大刀も残るが砲術の家だからか
頼りとする脇差は特にごつい物を
あえて選んでいたようだ。砲は井
上外記流、機動隊のランチャーの
ような巨大口径砲で鉄砲というよ
りまさに砲、剣は小野派である。
この長寸脇差=小太刀は小学生で
も畳表一枚巻きがスッパスパに
切れた(研ぎ前に試し済み)。


ただし、いくら切れる刀でも、
剣技がなってない人間が切り
つけると、濡れ畳表巻きだろう
が刀は簡単に曲がる。曲がるの
は曲がるような叩き付けをやっ
ているからだ。刀術者はその
ような馬鹿げた力任せの殴り
つけなどはやらない。
武器には武器なりの用法がある。

チントンシャンの踊りのお稽古
手習いではないのであるから、
武具の扱いとしての「刀の術」
を武士は学ぶ。
現行太極拳は、それはそれで素晴
らしいものだと私は思うが、現行
太極拳を観て、「素晴らしい武術
だ」とは私は思わない。
現在の武道は現行太極拳に似て
いる。

特に試合道ばかりやるのは実利
から乖離する。

幕藩体制時代、現実場面で決め
手になるのは表だった大刀では
なく、奥のほうの刀=脇差・小
太刀である、ということは結構
いろいろな場面で実際にあった
に違いない。
私は父からの伝で「脇差こそ選
べ」というものがあった。

私の差料である大永年間(1521-1528)
の脇差と天正八年(1580)の古刀。

映画『たそがれ清兵衛』の主人公
井口清兵衛さんの武技には疑問が
ある。
これは真田広之さんは日大の頃か
ら殺陣についてはよく研究されて
はいた研究熱心な方ではあったが、
本物の本式剣法については疎かっ
たからかも知れない。
現行の〜道でも、横抜き付けで、
このように抜刀する人も多いが、
古伝本式古流を知らないからで
はなかろうかと思われる。
武技成立要件として、この曲がり
手首にする意味が武術的には不存
在だからだ。
この抜き方だと、指二本でこの
ような隙を作る者の体を崩すこと
ができてしまう。いや、本当に。
いわゆる「隙だらけ」の抜刀方法
になってしまうので、土佐古流
抜刀術などではこのような抜刀
方式は、刀法としては理に適わ
ぬ誤った態様であるゆえ伝授して
いない。

(たそがれ清兵衛)


刀術としての鞘手返しはこのように
手の内の中で鞘を返すのである。
(画像加工)

鞘を決して「握る」ことはせず、
つまむように扱う。手首は曲げ
ない。

そして、出来る限り鯉口は隠す。
これは抜刀も納刀も。
理由は、抜刀の刃道にガタツキの
スペースを一切捨象するためだ。
すると、鞘はカタパルトとなり、
鞘なりに刀身は素直に抜ける。
抜刀納刀で手を切ることなどは
無い。一切無い。
抜刀の時に手を切りそうな気が
するが、納刀と抜刀は同じである。
納刀の際に鯉口を完全に塞ぐのに、
なぜ抜刀の時に鯉口ダダ広げに
するのか。それは刀法の真の理
について、理解が浅いからである。
鯉口は塞ぐ。
そして刃道は鞘なりに鞘内のどこ
にも刀身がぶつからずに抜刀する。
その技法による抜き付けが、「抜
き即斬」の要諦なのである。

これは剣法のうち抜刀術部門が特
化して重要視伝承されてきた土佐
の英信流古流古伝の刀術の一技法
としての見解からの解釈として。


横抜き付けの際も、手首を曲げて
抜きつけている武術的理論として

非常におかしいことをやっている
人が多いのだが、それは端的に申
し上げて武技にはなっていない。
指二本で本当に簡単に体をガクン
と床に倒すことができてしまう。
これは道場などで指導する時に
私が実際にやって見せている。
体が崩れるのは武術とはいえない。
武道でもさえもない。「武」の
本旨が伴わないからだ。

だが、この下図ように手首が真っ
直ぐになっている抜刀法であると、
指二本どころか腕を掴んで下に
下げようとしてもビクとも動じ
ない。

こういうのは、剣技剣法という
よりも、体術の範疇に入る明白
な理論であるのだが、抜刀術=
体術であるということを忘失し
た現代試合道などでは、このよう
な本当に大切な武技の根幹につい
て伝承することが多くの場面で
失伝されてきている。

そして小太刀だ。
本物の武技武術としての小太刀
の刀術を現代に伝える流派はほぼ
壊滅状態という現代の現状がある。
長い刀=大刀を使用した剣術ばか
りが注目されてもてはやされるが、
武士が就寝時と入浴時以外、常に
身に帯びた刀剣は小刀(しょうと
う)である。
かつての武士は、その度外れた
重要度について、深く知悉して
いたことだろう。
武士とはいかなる種族であったの
かという認知、そのことそのもの
が現代では消滅した。
制度の消滅よりも、そちらの消滅
のほうが消失損害度合は大きい。
だが、そういう「消滅」は、明治
政府が意図的に狙って完成させた
仕組みである。


よろしかったら、こちらもどうぞ。
私の考察 ⇒ 龍馬を斬った男 ~その技は丸橋か?~