渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ブローニング・ナイフ ~チーター~

2017年09月15日 | open



歳の離れた剣友、ジョーイ近藤から1990年代初期にもらったこのブローニング・
チーターのナイフは今でもとても大切にしている。
このナイフをくれた時、ジョーイは「研ぎの練習に使い倒しちゃってよ」と「ほいよ」
みたいな感じでくれた。
あと、モデルガンくれただよな(笑
コルト・ポケット・オートのかわいいやつを。

彼も好きだね~(≧▽≦)
刀・銃・バイク・絵、すべておいらと好きなもんが被ってた。


俺と横膨らみ時代の町井先生とジョーイ近藤。ワインバー六本木グリンゴにて。


グリンゴはホントにいい店です。
お近くにいらしたときには寄ってみてちょ。



おいらのやっつ年上だけど、まったく年齢を感じさせないジョーイ近藤。
昔から元気がよくハキハキとしてカラリとした好青年だった。
若い時の森田健作さんのイタリアンハーフ版、みたいな(^^)






六本木 ワイン・バー グリンゴ(食べログのレビュー)

 〒106-0032 東京都港区六本木7丁目18-14
地図

 

 

モデルガン 1971年規制

2017年09月15日 | open



私のデリンジャーである。
娘が中学生の時に私に言った。
「これ、何で金色に塗ってある
の?カッコ悪いなぁ。黒いほう
がいいのに」

日本の銃刀法のトイガン規制の
改訂(1971年、1977年、2006年)
ついて、その立法趣旨と社会
背景と歴史について説明した。
中学生だった娘は驚いていた。

実銃だけでなく、玩具銃に対し
ても世界一厳しい規制を敷いて
いるのが
日本で、米国人などか
らするとクレイジーでアンビリー
バボーな法律で
あるようだ。
そうだろうね。米国人からする
と日本の銃刀法は「自転車に乗
っていは
いけない」というよう
なものに映ることだろう。


日本のトイガン史の中で特筆す
べきは、1971年10月の銃刀法改
訂だった。

あえて「改正」とは私は言わな
い。改悪なので改訂だ。

この改訂により、金属製モデル
ガンはすべて「銃腔を完全閉塞
し、白色
または黄色に本体を塗
る」ことが義務付けられた。

これにより、金属製の黒いモデ
ルガン(ハンドガン=拳銃限定)
は所持自体が
禁止された。麻薬
と同じような扱いとなったので
ある。

日本の玩具銃産業の製品は世界
にも輸出しており、米国映画で
もステージ
ガンとして多く使わ
れ始めていたのであるが、輸出
品のみは黒い金属のままでOK

(当たり前だ)ということだっ
たので、かろうじてモデルガン
メーカーは生き残れ
たが、国内
需要はガクンと減り、大打撃を
受けた。

それでも、銃身が塞がって、金色
(シルバーは不可だが金メッキは
OKとされ
たという妙ないきさつが
ある)にメッキされたモデルガン
でも我慢してファンを
続けた人た
ちもいた。私もその一人である。

1971年10月の小学校5年生の時の
あの銃刀法規制は、非常にショッ
クだった。

その前年、1970年大阪万博には
世界初のモデルガンメーカーの
MGCの
パビリオンブースもあり、
ワクワクしながら大阪の万博会
場で見て堪能した。

無論すべて黒い金属モデルガン
だった。

当時のMGCのブルーイング技術
は素晴らしいもので、実銃を超
えるブルー
仕上げなのではとさ
えいわれたものだった。

すべてが71年規制で排除された。

モデルガンを所持していた人た
ちはどうしたか。

それは所持するモデルの銃身を
鉛で完全閉塞し、本体を白か黄
か金に塗ったのである。

まるで寝ているわが子の首を絞
めて一人一人殺していくような
思いだったことだろう。

少なくとも私はそうだった。

そして、小学生の頃に大事にし
ていた1960年代のモデルガンは
私は今でも

合法品に直して大切に持っている。
ただし、合法加工する時には涙が
とめどもなくあふれた。でも、切
断廃棄処分・当局提出廃棄
処分か
ら救うためには、法に従って合法
加工するしかなかった。

本当に涙を流しながら加工した記
憶がある。


このチーフスペシャルも、

このブローニングM1910も。

最大に涙を流したのは、コルト・
シングル・アクション・アーミー
=SAAの
銃身を閉塞して本体を染
めた時だった。


涙が滝のように出たが、泣き
ながら小学生だった私はすべ
てやった。

1960年代当時から所持してい
たモデルガンを継続所有する
ためには、このように合法品
に直すしかなかったのである。

違法品は所持してはならない
ということは、トイガンファ
ンの義務で
あるという意識が
強かったし、それ以前に法律
は遵守するものという
意識が
私にはあった。


それから約30数年後。
時代はすでにプラスティック
ボディのモデルガンが主流と
なって久しく
なっていた。
さらに1980年代からはプラス
ティック樹脂に金属粉をまぶ
して比重を
上げた「ヘビーウエ
イト」というモデルガンのた
めの新素材が登場し、
外見上
もまるで金属のような質感を
再現できるようになった。

究極の「ナンチャッテ」だと
いえる。


これらの弾丸はモデルガン用の
ダミーカートリッヂだが、コル
トSAAも
まるで金属のような質
感を醸し出している。

完璧にプラスティック製である
のに、これだけの質感が素であ
れば、
外見上の満足度は十分で
あるといえる。



本当によい時代になったものだ。


ただし、そうなると、1971年規
制は一体なんだったのかという
ことに
なる。
実弾を発砲できるように違法改
造することと見た目の色は関係
ない
からだ。
見た目が実銃に酷似しているか
らと1971年と同じように玩具銃
を規制
しようとすることは、現
在は情況的にまず無理だ。

そもそもが無理がある矛盾だら
けの法規制をしたのが1971年規
制だった。

この法案には共産党までも諸手
をあげて賛成し、全会一致で可
決された。

そのことに物凄い恐ろしさを感
じた。

多数決の原理を遂行する「民主
主義」というものは、ファシズ
ムの芽を
育成するのだと、小5
の時に私は気づいたのである。

あのあたりからだな。社会学と
か歴史や法律に興味を持ったの
は。

私にとっては、学識的興味の発
生原初はモデルガンがきっかけ
だった。