今年の2月のある日、「けいチャン 覚えてますか?」というメールが入っていました。
開けてみると、なんと!わたくしが7歳の時に住み込みで働いていた母の職場にいらっしゃった方で、当時は24歳で、とても私をかわいがってくれていたおねえさんではありませんか!
彼女は毎日私の住んでいた職場に出勤してくる方で、母とは17歳違いでしたが、本当に仲が良くて、姉妹、あるいは年の近い親子のようでした。
私にも姉か母のように接してくれました。
わたくしは当時、ひどい喘息とアトピー持ちのかなり病弱でヘタレなガキでした。いわゆる複雑な家庭であったこともあり、小学校ではかなり嫌な思いもしていて、いつも泣きながら帰ってきた根性なしだったのです。
しかし、このおねえさんは絶対に私の見方でした。
彼女はヘタレな私にいつも「けいチャンはね、絶対に大物になるよ!あたしにはわかるんだよ。」
「なに?!いじめっ子だ?そんな子はね、うしろからレンガで殴ってきちゃいな!」
「あたしが授業参観に行ってバカないじめっ子を張り倒してきたげるよ。」などと言ってくれる頼もしい人でした。
「喧嘩をして相手が怪我したら、相手の子のお母さんが悲しむのよ。。」などどきれいごとばかり言う母親とは真逆の存在でした。私の現在の人格形成に多大な影響を与えたおねえさんです。47年も前の話です。
そのご、中学高校になり、彼女も退職ご結婚と続き、引っ越しやいろいろあって、母も大切にしていた住所録を紛失してしまい、30年近くも、音信不通となっていました。
たまに日本に帰って電車に乗ったときなどは、いつもおねえさんの面影を探して、いつかばったりと出会えないものだろうか。。ときょろきょろしていたものです。
何年か前に、日本の健康雑誌で私の目のケアの特集が組まれた時も、「おねえさん、わたしをみつけてくれ!」と願いを込めていましたが、届きませんでした。
ところが今回、たまたまこのおねえさんの娘さんが、はたと気づいて、わたくしの名前を検索したところ、ブログも、HPも、写真もゴロゴロと出てきて、一気に連絡を取り合うこととなったのです。天佑神助、感謝感激というところです。
初めの連絡では、私の母がまだ生きているかどうかわからず、母のことは書いてありませんでした。「どっこい生きてるぜ!89歳だ!」と返すと大変喜んでいました。さっそく、スカイプやLINEでお話をしました。母とも画像で話して大感動で涙していました。
今回息子を連れて日本に行く際は、ついた翌日に「感動の再開」となります。
ああうれしいなあ。。1970年の大阪万博にも一緒に行ったんだ。
まるで桂子金治が出てくる生き別れになった人と出会うテレビ番組みたいです。