けい先生のつぼにくる話

はりきゅう漢方の先生が教えてくれる健康に関する話
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「ト(ぼく)」のこと。 易経(えききょう)について その一

2007-04-25 13:23:09 | 易経、東洋哲学
このテーマはでかいんですよ。

簡単に言い尽くせるものではないのですが、東洋医学的に健康を考えた場合、必ず学ばなければいけない学問です。どこまでうまく表現できるかわかりませんが、どうぞおつきあいください。

残念なことに、東洋医学の先生たちのなかには「易経」の存在すら興味がなくて、ただある病気のときに、その病気に関係のある経穴(つぼ)に鍼をさして電気を流しておればそれでよいと思っている、西洋医学的な病名治療の信奉者も多いのです。

しかしながら人間が天と地の間で生かされているもので、病の予防を含めた体質改善、精神育成のための医学を考えた場合、東洋哲学は欠かせない学問です。その中でも易経は目に見える現象から目に見えない奥底にある働きやサインを読む目を養うために必要な学問です。
易経はこれを占いの道具として使うこともできるのですが、「人体を含めた世の中のすべてのものは変わることのない法則(真理)のなかで常に変化している、そして複雑怪奇な世の中の現象をできるだけシンプルに捉えることにより状況を把握して対策を練るための哲学的な学問」ととらえると、とても有意義で楽しいものに変化します。

易経といえば占いとして知られていますね。夜の街の片隅で小さな机に明かりをともして、竹の筒に筮竹(ぜいちく)とよばれる50本ほどの細い棒(こればメドギといわれる植物からできてます)をたてている易者さんが思い浮かびますね。手相や四柱推命なども行う方々もいらっしゃいます。
残念ながらあんまり幸せそうでないというか羽振りがよさそうではない感じのイメージが漂っているようです。(失礼!!)
でもああいった方々の中には大変な哲学者や別の場所にご自分の立派な占い事務所をお持ちで、大変な高額納税者の方もいらっしゃるんですよ。

大昔、東洋医学を修めるものたちは、前回と前々回にお話しました「命」「相」「ト」を学び、健康法である「仙」を修めて初めて「医」を学ぶことができたのです。現代ではもちろんこれらを全部学ぶ意欲のある方もいるのですが、「命」学の四柱推命や気学九星などを患者さんの誕生日から割り出して推量する治療家は稀です。「相」学は東洋医学を学ぶときに診断学として迷信的な部分やオカルト的な部分を切り捨てた臨床的な相学を学ぶことになっているので、あるいは相学だと聞かされずに治療家の誰もが学んでいます。

易経は大きな河にたとえられた人生を行く船が、今は追い風かあるいは向い風か、前方に浅瀬や岩があるかどうか、助け舟は来るのか、、、、などを推察する手段といえましょう。また、こういった占い的な使い方をする以外に、常に変化をしている世の中の現象、医学、政治、思想、哲学的に易学を捉えることにより、どんな場合でも思想や行動様式に窮することなく(尽きることなく)対応できるものの考え方と想像力を養う活学としての用途もあるのです。簡単にギブアップしない精神的強さというかしなやかさを養い、人生に彩(いろどり)を添えることができるわけです。

次回からしばらくはこの易経の話題になります。もちろん実際の易の立て方は専門書に譲ることになりますが、常に生々して尽きることのない易経を
少しでも楽しく知っていただければ幸甚です。
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「相(そう)」について

2007-04-18 16:12:40 | 易経、東洋哲学
今日は五術のつづきです

前回は変えられない生年月日から運命を推し量る「命学」ということについてお話しました。
今回は命、相、ト、仙、医の五術のうちの「相」についてです。

「相」というのは形ということで、東洋的には形というのはすべて意味があると考えます。
山でも「[なんか険しくて登るのは難しそうだ」というのもあれば、「なんか丸みがあって優しそうな感じだな」というのもあるわけです。
「相学」は人や家などを中心とした、「形」を観てその奥にある働きを知る学問です。この働きを知れば、その人の現在の様子と将来的にどうなってゆくか、どんな傾向があるかなどを推察できるようになるための訓練になります。

人体では、目が釣りあがっていて、気性が荒そうな人は大体において本当に気性が荒いでしょう。
眉毛が「八」の字の人はわりと温和で優しそうです、でも少し優柔不断な感じがしますね。
もちろん人の顔は全体のつくりというか総合的なつくりで判断するわけですが、その形から受ける印象と実際の性格は大体一致しているといえましょう。もちろん例外として「みかけによらない」ということもありますが。。。

東洋哲学の先人たちの中には、人相や手相も大事だが、少し思考をかえて「人の後姿」を観てみるのもよいと説いています。
顔はお化粧で変えることができる、しかし「うしろすがた」だけはどうしようもない。。えらく羽振りがよさそうだったり、豪胆で男らしい感じでも、
後姿を見てみると「ショボい、、、」という場合があります。明るく振舞っている方でも、「さびしそうなうしろすがた」というのもあります。

彼氏や彼女の後姿をそっと観てみますか?
「ありゃ、、ショボいからすぐに別れよう!」などとしないで、優しく後ろからハグしてあげましょう。きっと今は追い風の運気ではないだけなのかもしれません。優しいハグが彼に何かを気づかせて、運気が好転するかもしれません。
「うわ さびしそうな後姿だな」と感じたら、多分あなたが悪いのかもしれません。普段からの思いやりが足りないからなのかもしれないと反省しましょう。

東洋医学的にはこの「相学」が診断学へと発展したのです。望診(ぼうしん)という顔や舌、体の形や色を観て診断する方法と、
切診(せっしん)というというカテゴリーに入る脈診、腹診も「相学」から発展したといえます。目に見えるところから、手や指で触れて感じることのできるところから、見えないところを探るのが東洋的な診断学です。人の体の形はそのまま何かのサインを出していると考えて観るのです。

さて、前回は人生の「命」的な部分を河の流れにたとえた場合、その河を行く船(人、ご自分など)の形を「相」とするとしました。
「相」は人の形です。自らの形、船や車にたとえれば、車体の大きさ、エンジンの種類、燃料の多少などです。人生を広い河や道にたとえた場合に自分はどのくらいの大きさの、性能の船や車なのかを知ることは人生の航海にとって大変重要なことです。

相学は明らかに迷信ぽい部分は切り捨てて、冷静にヒトの器(うつわ)というか、人となりを見つめるための学問です。

次に出てくるのが「ト(ぼく)」です。「と」ではありません。「易経(えききょう)」のことです。
運命を宿命として流されていきるだけか、立命として自ら人生の主人公となるか。
易経は「占い」としてもよく使われますが、森羅万象をとまらない動きの現象として捉える目を養うことができます。
この目を養って易経を活学としてとりいれることにより、思想に窮することがなくなります。「思想に窮する」とは「俺はもうだめだ!」
「これで終わりだ!」という死に体にならずに、また「絶好調!!」のときに襟元を正して泰然としていられるようになるための学問です。

次回はこの易経のおはなしです。
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