荻窪鮫

元ハングマン。下町で隠遁暮らしのオジサンが躁鬱病になりました。
それでも、望みはミニマリストになる事です。

小林正彦の巻。

2016年11月09日 | 偽りの人生に優れたエンターテイメントを




石原プロモーションの元“大番頭”こと小林正彦氏が亡くなられました。



それにしても、いち芸能事務所の専務がここ迄有名になるのも、珍しいのではないでしょうか。

とにかく、ド派手な事が好きなヒトでした。

【西部警察】恒例の爆破シーンは、小林専務のアイデアだったとか。



まぁ、イケイケの時代は良かったのでしょうが、バブル後はなかなかしんどかった事でしょう。

2004年に製作された【西部警察 SPECIAL】では、バジェットは全盛期の数分の一。

それでも小林専務は“ド派手”に拘りました。

きっと誰よりも『古き良き石原エンターテイメントの復活』を夢見ていたのでしょう。

舘ひろしですら『今回の作品はウチの小林のためにやっている様なもんですから』と言ってた位ですから。

一方で、石原裕次郎の未亡人・石原まき子との確執もささやかれておりました。

『あのヒト(小林専務)はいつまでパパの名前で商売するのか?もうそろそろやめてほしいんだけど・・・』と漏らしていたそうです。



2011年、渡哲也をはじめとする首脳陣が一斉に退任し、いち所属俳優に戻る事となります。

その際、小林専務も一緒に退任しました。

彼はどんな思いだったのでしょうか。

『裕次郎さん、ごめんよ。アンタの夢を果たせなかったよ・・・』

裕次郎は、石原プロモーションとしての映画製作を夢見ていたと聞きます。



吉田茂に白洲次郎、田中角栄に早坂茂三・・・、大看板の裏には必ず功労者が居るものです。



石原裕次郎記念館も2017年8月に閉館予定。

裕次郎さんもホントに遠くなっちゃいましたね。

享年80歳。

ご冥福をお祈りします。





『人の悪口は、絶対に口にするな。人にしてあげたことは、すぐ忘れろ。人にしてもらったことは、生涯忘れるな。』石原裕次郎(ニッポンの俳優・1934~1987)

過去の関連記事。
北海道の巻、みたび。


最新の画像もっと見る