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研究や教育等の記事を書いています。掲載内容は個人的見解であり、群馬県立女子大学の立場や意見を代表するものではありません。

リベラリストの「大いなる妄想」

2021年11月08日 | 研究活動
政治学者のジョン・ミアシャイマー氏(シカゴ大学)が、冷戦後世界におけるアメリカの対外政策を痛烈に批判する学術書『大いなる妄想―リベラリストの夢と国際政治の現実—』(The Great Delusion: Liberal Dreams and International Realities, New Haven: Yale University Press, 2018, 313 pp.)を上梓しました(3年前のことですが)。



本書は、簡潔ながらも論理的に強力で刺激的かつ論争的なものです。その主張は、ソ連が崩壊した冷戦後、国際システムにおける唯一の比類なきパワーを持ったアメリカは、世界の権威主義や独裁体制の国々をリベラルな民主主義国へと体制変換するために「リベラルな覇権」をめざして、それらの国々に軍事介入していった結果、多くの犠牲を強いる不毛な戦争を招いただけでなく、皮肉なことに、アメリカ自身の自由民主主義さえもむしばむことになった、というものです。すなわち、冷戦後のアメリカの対外政策は大失敗だったのです。

なぜアメリカはこうした愚行を重ねたかといえば、ミアシャイマー氏によれば、同国に深く根付いている「リベラリズム」に、その源泉があります。リベラリズムは、個人が持つ不可侵の権利(自由権、財産権など)を重視します。とりわけ「進歩的なリベラリスト(progressive liberals)」は、国内の権利のみならず、世界に暮らす全ての人々の不可侵な権利を実現することに、強い使命感を持っています。こうした衝動に突き動かされたアメリカの政策決定者やエリートたちは、国際政治におけるナショナリスムやバランス・オブ・パワーを時代遅れの遺物だとみなして、人権を尊ぶ政治体制である自由民主主義を世界に広げようとしました。しかしながら、こうした「社会改造(social engineering)」の試みは、各国に根強く定着している民族自決を旨とするナショナリズムの激しい抵抗にあったり、民主化のターゲットにされた国家に別の国家が連携することでアメリカに対抗する均衡行動を必然的に招いたりする結果、悲惨な失敗に終わることを運命づけられていると、かれは強調します。その端的な事例が、テロ組織であるアルカイダをかくまったとされるタリバン政権を倒して民主主義体制に変えようとした、アメリカ史上最長のアフガニスタン戦争(ミアシャイマー氏は、アフガニスタンからの撤退を実行したバイデン政権の決断を擁護しています)、独裁者のサダム・フセインを権力の座から引きずりおろして、そこに民主主義を植え付けようとしたイラク侵攻、独裁的なアサド政権を打倒しようとしたシリアへの介入ということです。

こうした悲劇的で破滅的な愚行に対するミアシャイマー氏の処方箋は、アメリカがリベラルな覇権国として振る舞うことからキッパリと決別して、リアリズムに基づく「抑制戦略(restraint strategy)」をとることです。そもそも、現在のアメリカは世界で最も安全な大国なのだから、あちこちの紛争に介入する必要がありません。このことはアメリカはかつての「孤立主義」に回帰すべきだというのではありません。アメリカは、大事な国益がかかわる地域で覇権国が台頭しないよう注意して、バランス・オブ・パワー原理にもとづき行動すればよいということです。

「アメリカにとって西半球以外では、今日において、3つの地域が死活的な戦略的重要性をもつ。すなわち、他の大国が位置するヨーロッパと東アジアだ。ペルシャ湾岸地域もそうだ。なぜなら、そこは例外的に重要な資源である石油の主要な源泉だからだ。このことは、アメリカはアフリカや中央アジア、ペルシャ湾岸外の中東地域で、戦争に従事すべきではないという意味である」(222ページ)。

それでは、我が国が存在する東アジアに対するアメリカの推奨される戦略は、どのようなものでしょうか。その答えは、ミアシャイマー氏によれば、自ずと明らかです。すなわち、「アメリカは選択の余地なく、リアリズムの対外政策をとるようになる。なぜならば、それは単純に、中国がアジアで地域的覇権国になるのを阻止しなくてはならないからだ…中国は地球上でアメリカのパワーに挑戦できる唯一の国である」(228-229ページ)ということです。こうしたアメリカの「中国封じ込め政策」は、今や国際政治学の現代古典となった『大国政治の悲劇(The Tragedy of Great Power Politics)』で強調されている通り、かれの一貫した主張になっています。

『大いなる妄想』は、アメリカの国際政治学界に大きなインパクトを与えたようです。本書はネット上の学術フォーラムであるH-Diplo/ISSFで取り上げられ、アメリカの著明な政治学者たちが、「ラウンドテーブル」で批評しています。これに参加したのは、ロバート・ジャーヴィス氏(コロンビア大学)、クリストファー・レイン氏(テキサスA&M大学)、ジェニファー・ピット氏(シカゴ大学)、ジャック・スナイダー氏(コロンビア大学)、ウィリアム・ウオールフォース氏(ダートマス大学)と豪華な顔ぶれです。スペースの制約があり、これらの学者のコメントをすべて取り上げることは出来ませんので、ここではわたしが印象に残った批判を検討したいと思います。リアリストを自認するレイン氏は、ミアシャイマー氏がアメリカ政治における「リベラリズム」の影響を過小評価しているといいます。かれは、アメリカの対外行動がリベラリズムに突き動かされていたのは、なにも冷戦後に限ったことではなく、ウィルソン大統領の時代からそうだったといいます。さらにレイン氏は、アメリカがとるべき対中戦略について、意外にも中国に便宜を図ればよいと主張します。台頭する中国はアメリカの生存を脅かすわけではなく、また、「核革命」により、アメリカは中国の敵対行動を核兵器で抑止できるからです。

これに対してアシャイマー氏は、ウィルソン政権が国際連盟への加入に失敗したことなどに示されるように、冷戦終結前のアメリカの戦略は世界にアメリカのリベラリズムを輸出する「リベラルな覇権」の追求ではないと反論しています。また、対中戦略について、ミアシャイマー氏は、レイン氏のいうことがリアリストらしくないとバッサリ切り捨てています。レイン氏のこの政策提言は致命的に誤っていると。かれが正しいとすれば、アメリカは「孤立主義」の対外政策を採ればよいことになり、核兵器登場以来の国際政治では、バランス・オブ・パワーは無意味であり、安全保障をめぐる競争は起こらないことになるが、そのような証拠はないとミアシャイマー氏は断言しています。

『大いなる妄想』を最も強烈に批判をしたのが、ウォールフォース氏です。かれは興味深い反実仮想で、ミアシャイマー氏が提示する「リベラリズム」と世界に自由民主主義を広げるアメリカの対外政策の因果関係に疑問を投げかけます。ウォールフォース氏は、もしソ連が冷戦に勝利していたならば、アメリカが行ったのと同じように、ソ連型の共産主義を世界に広めようとしたに違いない。そうだとすれば、冷戦後、アメリカが自由民主主義の対外的な普及を行った結果は、リベラリズムのイデオロギーが引き起こしたとは限らない、ということです。また、ウォールフォース氏は、『大いなる妄想』の理論は、ミアシャイマー氏が提唱する「攻撃的リアリズム」(大国はパワーを極大化するアクターとの理論)と齟齬をきたしているといいます。アメリカが単極の国家としてパワー極大化の機会を利用して、対外拡張政策をとったことは、攻撃的リアリズムの理論で説明できそうです。にもかかわらず、ミアシャイマー氏は『大いなる妄想』において、冷戦後にアメリカがとった、多くの国家に自由民主主義を植え付ける野心的戦略をリベラリズムにわざわざ関連づけるのは、合点がいかないということです。

これに対するミアシャイマー氏の反論は、やや苦しいものになっています。かれは、歴史上、世界レベルでの単極、すなわち「リベラルな覇権国」としてのアメリカが国際システムに登場したのは冷戦後ことであり、それ以外の事例で自分の理論を検証するのは不可能といいます。また、『大国政治の悲劇』で示された攻撃的リアリズムは、あくまでも大国間政治の理論なので、同理論の適用範囲は二極システムや多極システムであって、ポスト冷戦期の単極システムには当てはまらない。単極システムにおける「リベラルな覇権国」の行動は、攻撃的リアリズムでは説明できないから、それを補う新しい理論を『大いなる妄想』で打ち出したというのが、かれの言い分です。

わたしは『大いなる妄想』をほぼ納得して読みましたが、読後、ウォールフォース氏と同じような疑問を持ったのも事実です。もちろん、国際関係の理論に限らず、社会科学の理論(おそらく自然科学の理論)は全ての事象を説明できるものではありません。万能理論は反証不可能なので、ドグマにほかならず、科学の基準を満たしません。もちろん、攻撃的リアリズムも万能理論ではありません。この理論は簡潔で説明力が高い(と私は思う)のですが、大国の政治行動の説明と理論から導かれる政策提言が、ややもするとかみ合わないことがあるようです。しかしながら、こうしたことは、ミアシャイマー著『大いなる妄想』の価値を損ねるものではありません。国際関係の研究者のみならず、現実の政治に携わる実務家も、同書はから多くを学べることは間違いありません。

本書は概ね前半が政治哲学、後半が国際政治を扱う構成をとっているので、通読することにより、読者は政治学を幅広く勉強できます。両者へのアプローチはとかく難解になりがちですが、ミアシャイマー氏の論考は明瞭で歯切れのよい語り口であり、一般の人にも英語を母国語としない人にも読みやすいです。かれは大学院時代、「重要な理論的問題について、シンプルで明瞭な言葉を使って、専門家でない人にも手が届くよう書いたり語ったりできることを学んだ」と回顧しています。そして「自分はよきコミュニケーターでありたい」ともいっています(ixページ)。これらの目的は、本書で十分に達成されていると思います。故サミュエル・ハンチントン氏もそうだったように、難しい政治問題を簡潔に説くことこそ、学者に与えられた大切な1つの使命なのかもしれません。また、60ページ以上にわたる脚注は、ミアシャイマー氏が膨大な先行研究を渉猟して『大いなる妄想』を書いたことを裏づけています。かれが本書を脱稿したのは、70歳近くになっての頃です。歳を重ねても衰えるどころか、ますます意気軒昂に意欲的で論争的な国際政治の新しい研究成果を発表し続けるミアシャイマー氏の知的生産力とエネルギーには、ただただ脱帽する限りです。

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抑止と「再保障」

2021年11月01日 | 研究活動
近年、国際関係論は、心理学や行動経済学の研究成果を取り込んで、新しい学問的進展を見せています(Janis Gross Stein, "The Micro-Foundations of International Relations Theory: Psychology and Behavioral Economics," International Organization, Vol. 71, Supplement S1, April 2017, pp. S249-S263)。そもそも国際関係論に認知心理学が導入されたのは、約40年以上前であり、政治指導者の合理的選択からの「逸脱」とみられる行動を説明することを主な目的としていました。先行研究において、心理学を取り入れた国際関係研究の安全保障分野における1つの先駆けとなったのが、ロバート・ジャーヴィス氏、リチャード・ネド・ルボウ氏、ジャニス・グロス・ステイン氏によって編まれた『心理学と抑止』(ジョンズ・ホプキンス大学出版局、1985年)です。




この研究書の重要な目的の1つは、安全保障政策の最も根本的な柱である「抑止(deterrence)」が、エレガントな合理的選択理論に基づくロジック通りに必ずしも作用していないことを政策決定者の感情や認知などに注目して、明らかにすることです。ここで言う「抑止」とは、防御側が、自らが望まない行動を敵対国にとらせないよう、そうした行動のコストが期待される利得を上回ることを分からせて防ごうとする戦略です。この定義から分かるように、このような「古典的な」抑止理論は、現状維持を志向するアクターの観点から構築されています。

上記のオーソドックスな抑止理論に欠けているのは、現状維持を変えようとする「挑戦国(challenger)」の視点です。国際政治における危機や戦争を観察してみると、国家は成功の見込みが低いにもかかわらず、現状変更に挑戦することがあります。こうした行動は、「合理的行動」から逸脱しているように見えます。抑止する側が軍事的優勢を保持している場合、相手に手痛い報復をする力を行使できるので、挑戦国は現状打破行動に伴うコストが利得を凌駕すると悟り、現状を変える成功の見込みが小さいと思うでしょう。その結果、国家はたとえ現状を打破したいと思っていたとしても、そうした行動は割に合わないので、選択しないと期待できます。

『心理学と抑止』の寄稿者たちは、こうした「合理的な」抑止理論に異議を唱えます。これらの研究者は、中東における「消耗戦争」と第四次中東戦争、フォークランド紛争の事例を観察すれば、合理的抑止理論の前提が概ね満たされていた場合でも、武力衝突が起こってしまったことが分かると主張します。中東の事例では、イスラエルがエジプトに対して軍事的優位を持っており、後者は前者に「戦争」をしても勝てないと分かっていたにもかかわらず、武力行使に訴えました。その理由はいくつかありますが、現状維持すなわちシナイ半島がイスラエルに占領された状態を外交的手段により覆すことが出来そうにない行き詰まり状況に対する「損失」感(本来エジプトのものであるはずの領土を奪われたという「損失」感)、対イスラエルの軍事バランスがエジプトに不利に傾きつつあることへの焦燥などに、エジプトの政治・軍事指導者は突き動かされたのです。要するに、エジプトは「現状維持」を耐え難いものだと考えていたのです。そこで同国の指導者は、イスラエルに消耗を強いる軍事行動や奇襲攻撃なら、こうした行動から生じる「損失」は許容範囲に収まるとの希望的観測に基づき、軍事オプションのリスクを承知しながらも、イスラエルに武力を行使したのです。その結果、抑止は破綻してしまいました。

フォークランド紛争も、抑止が失敗した事例として扱われています。アルゼンチンにとって「マルビナス諸島(フォークランド諸島)」は、過去、イギリスに強奪されれた島であり、本来、自分のものだった領土を失ったと強く思っていました。アルゼンチンのフンタ(軍事評議会)は、マルビナス諸島をイギリスとの交渉によって取り戻すことを何度も試みていたのですが、これまで失敗に終わっており、また、国内では経済政策の失敗などで批判にさらされていました。こうしたことは、フンタの将軍たちの立場を悪化させていました。そこで、かれらは領土を取り戻すとともに、国民の信頼を得る劇的な方策として、軍事的手段による同島の奪還に期待するようになりました。アルゼンチンの指導者は、ポートスタンレー島を占拠しても、イギリスのサッチャー政権がそれに対抗することなく折れて、同島の主権をアルゼンチンに返還するだろうとの希望的観測にもとづき、一か八かのギャンブルに打って出たということです。ところが、サッチャー政権は、こうしたアルゼンチンの期待に反して、引き下がるどころか、フォークランド諸島を奪還する断固たる「決意」を固めて、遠路はるばるイギリス軍を南半球に派遣しました。フンタは、イギリスの「決意」を見誤ったということです。

抑止は、よく言われるように、現状打破を志向する挑戦国が防衛する側の弱みに付け込むことで破綻する場合もあります。「ミュンヘンの宥和」が、ヒトラーの侵略を助長したことは、その典型例として、よく引き合いに出されます。他方、中東戦争やフォークランド紛争の事例が示唆することは、抑止は、挑戦国が自らの損失を取り戻すために、武力行使に伴うリスクとコストを承知の上で、軍事力による現状変更を企図することでも失敗する事実です。もし挑戦国が現状に対して「悲観的な」認識を持っている場合、抑止の脅しは逆効果になりかねません。抑止で避けようとした事態、すなわち挑戦国が軍事力で現状を変更する行動を招くこともあるのです。挑戦国がさまざまな「損失」を意識しており、自らの立場が脆弱になることを恐れている状況下において、「戦争」や「軍事衝突」を防止するためには、抑止戦略に頼るのはかえって危険かもしれません。こうした場合、抑止とは別の戦略である「再保障(reassurance)」の方が有効に働くというのが、『心理学と抑止』の寄稿者たち(とりわけルボウ氏)の主張です。再保障とは、戦争や危機の引き金になる、政治指導者の恐怖や不安を和らげる戦略のことです。このような敵対国に便宜を図る政策は、ホッブズ的な世界観(万人の万人に対する闘争)で国際政治を見ると、「宥和」になりなねない危険なものに映ります。もちろん、『心理学と抑止』は、抑止がしばしば武力行使を思いとどまらせることを認めています。その一方で、上記の条件下では、抑止は挑戦国の軍事力の使用を挑発することになりかねないので、再保障戦略の方が望ましいと主張しているのです。

再保障戦略が敵対国に対する適切な選択かどうかは、挑戦国の現状に対する認識によります。この戦略を採用する上での大きな実践的問題は、不確実性が高い国際政治の世界において、われわれが、どのようにして相手のパーセプションを精確にとらえるかでしょう。そのために必要なことの1つは、敵対国が自らの脆弱性を認識しているかどうかに注意を払うことです。直感的には、弱い国家は強い国家に対して武力を行使しても、負ける確率が高いので、そのような損になることをしないと、われわれは予測しがちです。また、敵対国に再保障を適用するのは、「ミュンヘンの宥和」のアナロジーが示すように、現状打破国に弱みに付け込む機会をわざわざ提供するだけだと思いがちです。しかしながら、国家は自らの脆弱性ゆえに、リスクが高いことを承知で、軍事力の行使というギャンブルを企図している場合、こうした軍事的行動を防ぐには、再保障が効果的であることを『心理学と抑止』は読者に訴えているのです。

『心理学と抑止』は、従来の合理的選択に依拠した抑止理論の欠陥を明らかにして、新しい抑止の見方を提供するとともに、再保障戦略の効用を理論的に示した、画期的な研究成果だと思います。そして、こうした心理学を援用した国際関係論は、この書物が刊行されたのちに、次々と新しい斬新的な研究を生み出していくことになります。これについては、また、別の機会に論じることにします。


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