Kazuko MISAWA World

三沢かずこの青の世界 ー 作品の周辺

モーニングコーヒー

2015-10-31 20:26:10 | 日々の思い

友人のご夫婦がいつも経験しているという、モーニングコーヒーを飲むことができた。軽食のサービスもついて、嬉しい気分だった。厚切りのトーストにバターがジュワッと塗られ

ている。南に面した民芸調の窓枠から朝の日ざしが差し込む。トーストのバターに光が反射して、何とも美味しそう。朝食は、もうすんでいるのだが、モーニングサービス、を一度

味わってみたいと思った。ずっと以前に出した詩画集のなかに、2月の光の春の朝、バタートーストに朝光がきらめいた瞬間を短詩にしたものがある。ある時、共感しました、とい

う言葉を知人にかけてもらって、嬉しかったことがあった。あの頃は、落ち込んだ毎日が続いて、寒い冬が嫌いで、家のなかに閉じこもっていた。寒さのピークも過ぎようとしてい

て、春を感じさせる明るい日ざしにほんとうに救われる思いだった。今は、あの頃に比べると、随分活動的になった。何倍も仕事量が増えている。どこに行っても、何かに出会って

も、いつも絵がこころの中心を占めている。絵を忘れて、リラックスするということがなかなかできない。

モーニングサービスのコーヒー店行きも、実は仕事がらみ、そこで個展をされている方の作品を見るのが目的である。でも、お陰で、つかの間、楽しめた。ちょっとゆとり感を味わ

うこともできた。コーヒー、とても美味だったし。コーヒーを飲みながら思った。少し、休養も必要かな、と。ほんとに一週間休み無しだ。遊びのある絵を、描きたいと思っている

作者の日常は、忙しすぎる。                                                                                    

                                                                                               トーストが    またたいた   光の春           『ある日のある日』 1997年  鳥影社刊

 

 

               NATURE  2015-13     手透きハガキに油彩

 

 

                                                

 

 

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島の母子

2015-10-29 18:53:37 | 旅路

明らかに怒っていたのだと思う。モルディブ諸島のとある島、子どもを小脇に抱きかかえた女性。鮮やかな濃い緑の地に大きな花模様のある民族衣服を身に着けていた。目が合って

その瞳の強さと、母親の存在感に惹きつけられた。思わずカメラを向けた。近い距離、目がまっすぐこちらを見据えている。抱えられた子どもは母親にすがっている。一瞬迷ったが

シャッターを切った。握手はもちろん、ありがとうの一声も言えないような空気がそこにたちこめた。そこから黙って去るしかなかった。どやどやとたくさんのカメラを抱えた集団

がその島をいっとき、嵐のように通り過ぎたに違いない。私もそのなかの一人だった。アマチュアカメラマンの、切り捨てごめん、とでもいえるような行動だったろうか。人物は隠

し撮りがいいと、同行者に教えられた。でも、余りにもひきょう、だと思えた。こちらの存在を相手に示してシャッターを押すべき、と考えていた。でも、大差ない。オーケーも

とらないでシャッターを押したのだから...切り捨てごめん、にちがいない。その写真を見るたび、母親の射るようなまなざしが突き刺さってくる。ニコニコ笑ってくれる顔写真は

作品にはならずに記念写真になるが、この母子の写真は、人物の性格のようなものをとらえたという点では、作品とよべるものであったかもしれない。でも、子どもを守るように

真っ直ぐにこちらに対峙した母親の姿に、母親になった経験のない私は、完全に、負けたような気がした。人と話すことが苦手なのに、人物の写真を撮ろうとして、かなり、無理

をしていた。苦手なことを克服しようと、自分を追い込んでいた。    (1982     モルディブ 撮影の旅より)

 

 

              フォト 2010

  

                                        

 

 

 

 

 

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沖縄の旅

2015-10-27 19:24:49 | 旅路

沖縄になぜあんなに惹きつけられたのだろうか。

沖縄に初めて行ったのは、旅の月刊誌の特派記者として、30代の代表として全国公募で選ばれてのことだった。沖縄の壺屋焼きの思い出を文章にして応募した。ほんとうにラッキー

な結果だった。その旅は、ウインドサーフィンの初挑戦を義務(?)づけられたり、後日、旅行記を書いたりで、けっこう仕事がらみの旅だったが、さあっと通り過ぎた那覇の街に、ア

メリカ的な色彩を多く目にし、市場に並ぶ品物の珍しさに驚かされた。ある地域で、ハブとマングースの闘いのショーがあり、特派記者としての見聞記が必要であったようだが、こ

れは、全く無理で、後ろに隠れて見れなかった。

沖縄に流れていた緩やかさ、那覇に着いた時、バックが行方不明になった時も、そんなに慌てないでいいよ。すぐ出てくるさー......と、涼しい顔の迎えの人。大分遅れたけれど、バ

ックは出てきた。そんなに、神経質にならなくても、とやんわりとたしなめられたかのよう。急いでいる生活に、慣れっこの自分。いつの間にか、ゆっくりと、お茶を飲んだり、気

長に何かを待つということが苦手になっていた。

もう、30年も前の沖縄しか知らない。そのころに比べ、沖縄全体は大きく変わっただろう。降り注ぐ太陽光、暑さの中で、その自然を受け入れて、おおらかな優しさを見せてくれた

出会った人たち。沖縄の写真を、撮ろう、と帰りの飛行機で決意した。写真館を営む写真家のもとで、撮影の仕事を手伝いながら、空き時間に写真雑誌を夢中で読んでノートにメモ

って写真の勉強をしていた。私の写真修行時代はとても短いものだったが、今思うと、一歩、自分の殻を破り外に出た、かけがえのない経験だった。沖縄を写すという私の決意は、

かなわなかったけれど、今でも、沖縄の茜色に染まった夕陽の温かさとそてつの長い影の光景が思いおこされる。たった一人、夕陽のなかで気負っていた...。

 

 

 

                                                      フォト  2015

 

 

                                                        

 

 

 

 

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日々の仕事を頑張る

2015-10-26 18:53:45 | アトリエから

秋晴れが続いている。セルリアンブルーの柔らかい青を眺める。飛行機雲のあとだろうか、上空に向かって白雲が立ち昇っている。こうして、秋らしい気候が続くことに、ありがた

さを感じる。朝の家事を終えて、アトリエに向かう。新鮮な日ざしのきらめき、下りの石段を、とんとんと駆け下りる。最後の段で、おっと危ない、手すりをつかんでセーフ。気を

つけなくては、もう若くはない。

ひたすら、ひたすら、画面に色を置いている。振り出しに戻った気分。何かを表現しようとか、何かをイメージしようとか、無しに、色を画面に重ねることに気持ちを向ける。何枚

の描きかけの作品が、私の傍らにあるのだろうか。気にすることはとうにやめている。こんな状態での制作のやり方もある。ただ、たまに絵を見ようと、後ずさりした時に、小さな

作品を踏んでしまうので、これには気をつけなくてはいけない。できれば、気分のいい時に、色を重ねたい。いかに気分のいい状態をつくるかが大切だと思う。夕方、落ちそうな日

を気にしながらも、外へ散歩に出た。こんないい気候は今しかない。時間がないので、コーヒーはやめて、アトリエに戻る。公園のブランコの影が、造形的におもしろい感じがして

カメラを取り出した。映像にすると、たいしたことはない。これも何かの勉強か。

日が落ちかけてアトリエのなかの光はかなり乏しい。でも、今日の仕事頑張る。小品に、色を重ねた。小さな画面だからかしら、何かが変わり始めたかもしれない。明日、がっか

りしたくないけれど、ちょっといい気分で、家に向かった。

 

 

              フォト  2015

 

   

                                           

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草紅葉(くさもみじ)

2015-10-22 18:47:47 | アトリエから

草紅葉...すてきな響きの言葉。アトリエへの行き帰り、道の両脇にエノコログサや、アカマンマや、名前の分からない草の葉がシックな紅色を見せている。古来から、詩歌にも登場

している草紅葉。木々の目立ちやすい紅葉に目がいきがちだが、足下には、こんなにおさえた色調の美しさがある。いつだったか、木枯らしの吹く季節に、草むらに、ぽっと暖かい

赤色を見つけてこころが浮き立ったことがあった。青の絵のなかに、暖色系を入れることがけっこうあるが、さし色の魅力にはまっているのかもしれない。絵の表面に暖色を加えな

いときも、青の下に黄土系や、代赭色を入れている。暖かい青がやはり、好きなのだ。

このところ、自分の制作をもう一度見直してみようと考えている。アトリエは、実験作で、散らかっている。少し落ち着かないのだが、今年は、個展が早めに終了したこともあって

そのためには好都合だ。尊敬する先輩の作家たちの発表や足跡から、いろいろなものを学べる。時に貴重なアドバイスもいただけて、自分の制作の道筋の立て直しになる。とても感

謝している。15年前に購入して、理解しにくかった内容の美術書を、再び、手に取ると、内容がこころに届く。15年前の私には、まだ不必要な本だったのか。少しづつ、精読しよう

と思っている。今探している答えが、この本にわずかでもあったら、すごいしあわせだ。その時々で、さあっと通り過ぎた多くの本も、読み直すと、今の私に必要な、深いものを教

えてくれるかもしれない。

なんか、希望がわいてきた。明日も頑張ろう。

 

 

 

             WORKS  2015-6   14.0×18.0cm    油彩

 

     

                   

 

 

 

 

 

 

 

 

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